初瀬谷の南に広がる古墳群として知られる狛・岩坂の古墳。
その中の一つに狛大石古墳が存在しています。
民家の石垣の下に残された狛大石古墳。
辛うじて残存する横穴式石室の玄室の一部です。狛集落へと通じる道の左側にその姿をとどめています。
一見すると、ゴミの集積所か何かと勘違いしてしまいそうですね。横穴式石室ということですから、かつては羨道も存在していたものと思われます。発掘調査も行われておらず、築造年代はおろか、その墳丘や出土遺物、被葬者等も謎のままです。
玄室の奥壁が露わな狛大石古墳へアクセス
狛大石古墳の場所は、狛エリアと岩坂エリアの分岐点近くです。
国道165号線を長谷寺方面へ向かう途中、出雲と書かれた歩道橋が見えてきます。その手前を右折します。ここで注意が必要なのですが、右折したと思ったらすぐにまた右折することになります。そこからは狛・岩坂の集落へと通じる道が南方へと伸びています。途中で近鉄大阪線の高架下をくぐり、秀華苑という老人ホームを右手に見ながら進みます。
狛大石古墳の玄室奥壁。
開口部から程近い場所に奥壁を見ることができます。石組を見ていると、間違いなくこれは古墳だなと実感できますね。
狛岩坂の分岐点。
秀華苑からさらに南下して来ると、狛集落と岩坂集落に分かれるY字路に突き当たります。うん?これはキバナコスモスでしょうか。まだ6月ですので開花時期としては1か月ほど早いような気もするのですが、よく似ていますよね。
左手に取れば狛、右手が岩坂エリアへと続く道です。
ちなみに狛集落と岩坂集落はさらに上手でつながっており、ぐるりと一周することもできます。目指す狛大石古墳へはY字路を左手に上がって行くことになります。
しばらく進むと、右側に美しい水田が見えてきました。
田圃に水が張られ、昔ながらの田園風景が広がります。遥か向こうに見えている家々は、下岩坂の集落です。
日本人はこういう風景に心が癒されます。
稲作文化に育まれてきた、私たち日本人のDNAに自然と刷り込まれているのでしょうね。
右手を見下ろすと、一面の棚田風景です。
高低差のある地形が生み出す絶景ですね。深い山々に囲まれた狛岩坂地区ならではの、実に美しい光景が広がっています。
棚田風景を右手に見ながら歩いていると、行く手に消防機具庫が見えてきました。
「朝倉分団 狛岩坂部消防機具庫」と書かれていますね。
振り返って消防機具庫を撮影。
ここまで来れば、もうすぐ目的地の狛大石古墳です。
ありました、狛大石古墳の開口部です。
写真の左隅に先ほどの消防機具庫が写っています。
これまでにも様々な横穴式石室を見学してきましたが、新しいタイプの石室ですね(笑)
完全な形で保存されていないのは残念なのですが、その一方でよくぞ残しておいてくれた!そんな感じを抱かせる稀有な古墳です。
この道をさらに奥へ進み、分かれ道で西側へ折れて粟原へ向かう林道の途中には岩坂式シ山古墳があります。全長7.65mの両袖式横穴式石室で、なかなか見応えのある石室として知られています。
狛大石古墳の玄室奥壁。
狛川の東西に広がる狛と岩坂の集落。
発掘調査とは無縁の地域ではありますが、未開であるが故の魅力を感じさせてくれる古墳の密集地帯でもあります。