狂(たぶ)る。
古語辞典を紐解くと、気が違う・狂うと解説されています。
狂ったのは誰か?牽牛子塚古墳の被葬者とされる斉明天皇です。土木工事を好み、石上山(天理市の豊田山)の石を飛鳥の地に運ぶため、運河となる渠(みぞ)を掘ったと伝わります。多くの労力を要し、狂心渠(たぶれごころのみぞ)と揶揄される突貫工事でした。
酒船石遺跡の天理砂岩。
平成4年に、酒船石の丘陵から天理砂岩を積んだ石垣が出土しました。この天理砂岩こそが、石上山の石とされます。「狂心渠」の史実を裏付ける発見はその後も続き、平成11年には明日香村の各所から幅10mほどの水路が発掘されています。
豊田山採取の石材を復元公開!宮の東の山
石上山で切り出した石を運河を使って運ぶ。
無駄な人夫を三万人余り、垣造りの無駄は七万人余り・・・と伝わります。
史跡酒船石遺跡。
この階段を上がって行くと、頂上付近に酒船石が横たわっています。丘陵下には亀形石造物があり、謎の石造物目当てに多くの観光客が集います。
天理砂岩。
現在の豊田山で採取された石材ですね。
天理砂岩の手前に案内板がありました。
この石垣は平成4年に発見された。調査の結果、この丘は版築状に3mほど盛土された人工の丘陵で、石垣は明日香産の花崗岩を地覆石状に並べて基礎とし、その上に天理市から奈良市にかけて分布する凝灰岩質細粒砂岩の切石を積み上げて築かれていた。現在、倒壊していた石垣の一部を復元して公開している。
酒船石遺跡は、『日本書紀』斉明天皇条の「宮の東の山に石を累ねて垣とす」「石の山丘を作る」という記事に該当する遺跡である可能性が強く、その解明は、後飛鳥岡本宮など飛鳥の諸宮跡の所在地を確定する上からもきわめて重要である。
明日香村教育委員会が平成5年度からこの丘陵周辺で範囲確認調査を継続的に実施して酒船石を含めた全容の解明につとめており、石垣が数段にわたって丘陵を取り巻く状況を確認するなどの成果を上げてきている。 ここは明日香村大字岡です。
アブラメの姿造り。
市場から届いた、春先に旬を迎える魚です。
時の権力者に翻弄された庶民。
重祚した斉明天皇の足跡を間近に見学することができます。
山の辺の道北ルートを歩けば、天理砂岩の歴史に触れることも出来ます。ご興味をお持ちの方は是非!