浄土宗の開祖・法然上人ゆかりの知恩院。
知恩院には「知恩院の七不思議」が語り継がれていますが、その内の一つに黒門前の瓜生石(うりゅうせき)があります。知恩院の拝観冊子を見ると、英語で The Cucumber Rock と翻訳されています。直訳すれば「胡瓜岩」、キュウリの岩ということになります。知恩院近くの八坂神社神紋にも胡瓜の紋が見られますが、何か関係があるのでしょうか。
知恩院の瓜生石。
コンクリートの柱と鉄柵で厳重に結界が張られていました。大変交通量の多い三叉路のど真ん中に埋め込まれたミステリーストーン。その正体やいかに!?
氷山の一角と申しますか、地上に出現しているのははほんの少しの部分で、そのほとんどが地中に埋まっているようです。一説によれば、瓜生石の下には地下道が掘られていて、徳川家の二条城まで繋がっているという噂もあります。有事に備えて、家康があらかじめ抜け穴を作っておいたとか・・・まるでお城のような造りで”要塞化”されている知恩院。そこで新たに指揮を執るための戦略が練られていたのでしょうか。
牛頭天王降臨伝説が残る謎の磐座
瓜生石には様々な伝説が残されています。
”二条城抜け穴伝説” もその内の一つなのですが、牛頭天王が降臨したという伝説が最も信憑性が高いものと思われます。
瓜生石は知恩院創建前からここにあったと伝えられます。不思議なことに、一夜にして瓜生石に瓜が実ったという謎めいた話が伝わります。あれよあれよという間に蔓が伸びて花が咲き、一夜にして結実したのです。その実の上に牛頭天王が降臨し、果実の表面には「牛頭天王」の文字が現れたと云います。
その後、牛頭天王の神霊は今の粟田神社の場所に移られたそうです。
知恩院黒門。
瓜生石はこの黒門前に佇んでいます。
確かにお城のような門構えですよね。今の知恩院の中心エリアは御影堂周辺ですが、もっと上手の ”本丸” のような場所に法然上人の遺骨を納める御廟があります。黒門を入ると石垣に囲まれた石段を登り、右へ左へと振られながら武家門入口へと辿り着きます。除夜の鐘で知られる大鐘楼まで続く階段なども、どこか山城を思わせる風情です。
瓜生石と古門前通(ふるもんぜんどおり)。
東大路通から古門前通に入り、東へ進んで行くと正面に知恩院黒門が見えて参ります。そこは神宮道と交わる丁字路になっていて、そのど真ん中に堂々と瓜生石が鎮座しています。なぜにまたこんな場所に?と誰もが目を疑います。
そのほとんどが地中に埋まっています。
わずかに表面だけが人目に触れる程度です。この意味深なお姿がまた、様々な憶測を呼ぶのでしょうね。
和順会館から知恩院三門を望みます。
平安時代前期、瓜生石周辺には藤原氏の別荘があったと伝えられます。
その後、藤原基経がこの別荘地をインドの祇園精舎を真似た仏道修行場に造り替えたそうです。この行動には、祇園精舎の守護神である牛頭天王が瓜生石に降臨したことと深く関係しているのではないでしょうか。牛頭天王を祀る八坂神社創建とも深く関わる興味深いお話です。
「知恩院七不思議」と案内されていますね。
鶯張りの廊下、白木の棺、忘れ傘、抜け雀、三方正面真向の猫、大杓子に続く七つ目のミステリーです。
法然上人御廟へと続く智慧の道。
御廟は京都府指定文化財になっており、隣接する拝殿からお参りすることができます。
牛頭天王降臨の後、粟田(あわた)神社に奉納されたという瓜。
粟田神社では今も夜渡り神事が催され、瓜生石の周りを3回巡拝する「れいけん祭」という祭事が執り行われます。知恩院と粟田神社の合同祭事として知られています。