奈良県磯城郡田原本町蔵堂に鎮座する村屋神社。
村屋神社は縁結びの神様として信奉を集めています。
村屋神社の社叢(森屋の森)にはイチイガシが群生し、鬱蒼としたその神域は奈良県の天然記念物にも指定されています。
村屋神社本殿。
村屋神社の御祭神は、弥冨都比売命(みほつひめのみこと)と大物主命です。三穂津姫命(みほつひめのみこと)は高皇産霊命(たかみむすびのみこと)の姫神とされます。大物主命が国譲りをされた時、その功に報いるためと、大物主命の二心のないようにという願いから、自分の娘を贈られたというお話が伝わります。
大神神社別宮の村屋神社
大物主命といえば、三輪山に鎮まる大神神社の御祭神です。
神話のエピソードに従い、三穂津姫命と大物主命が祀られる村屋神社。大物主とその妃神が祀られる村屋神社は、縁結びの神・家内安全の神として信仰されています。主神は三穂津姫命ですが、後に大物主命も合祀されるようになってからは「大神神社の別宮」と称せられるようになりました。
大神神社には夫婦岩や恋人の聖地など、人気の縁結びスポットがあります。
さしずめ、村屋神社の縁結びスポットは朱色の本殿でしょうか。東西に居並ぶ二社続きの銅板葺本殿には、向かって左側西殿に大物主命、右側東殿には三穂津姫命が祀られています。仲良く鎮座する二神は、縁結びを約束する村屋神社の心臓部でもあります。
ちょうど昨年の今頃、紫陽花の咲く時期に御所の鴨都波神社を訪れましたが、鴨都波神社も大神神社の別宮と言われています。奈良県各地に大神神社の別宮を見るにつけ、その影響力の大きさを改めて感じる次第です。
村屋神社拝殿。
村屋神社、村屋神社と言っていますが、その正式名称は村屋坐彌冨都比売神社(むらやにいます みふつひめじんじゃ)です。
鎮座地の田原本町蔵堂(くらんど)の「堂」は、「部」もしくは「戸」を意味しているものと思われます。長い時間の流れの中で「べ(部・戸)」が「ど(堂)」に転じたのでしょう。神戸の読み方にも、「かんべ」「じんど」が見られるように、蔵堂という地名にも蔵部(くらひとべ)の陰が見え隠れしてきます。倉庫にある官物の出納を扱う仕事に従事したという蔵部(くらひとべ)。個人的見解に過ぎませんが、その流れをくむ場所のような気が致します。
村屋神社の境内摂社
村屋神社境内には幾つかの摂社が祀られています。
イチイガシの群生する境内は意外と広く、古代の空気をそのままに留めています。
狛犬が両脇を固める拝殿向かって左側に、小さな祠が祀られていました。
久須須美神社(恵比須神社)。
御祭神は天之久久之遅命と事代主命です。
若宮とも呼ばれており、元は蔵堂橋の南の袂に鎮座していました。明治初年に現在地に遷されています。隣村の伊与戸の氏神であったとも伝えられます。
「若宮 恵比須神社」と案内されています。
それにしても、久須須美(くすずみ)神社という名前は初めて聞きますね。
恵比須神社の北側、拝殿の真横辺りに蔵らしき建物がありました。
注連縄が張られ、紙垂が掛けられています。
村屋神社の宝物が収蔵されているのでしょうか?あるいはお神輿か何かでしょうか。
さらにその北側、村屋神社境内の北西隅に祀られる服部神社。
服部神社の御祭神は天之御中主命、天之御鉾命、誉田別命です。
服部神社という名前だけに、服飾関係を司る神が祀られています。ここより西へ2㎞ほどの所に大安寺村字神来森(かきのもり)という土地があります。そこに鎮座して波登里村(はとりむら)、阿刀村(あとむら)の氏神であったと伝えられます。南北朝時代に戦火に遭い、現在地に遷されています。
延喜式内社と書かれています。
「延喜式」神名帳 式下郡には村屋坐彌冨都比売神社・村屋神社・久須須美神社・服部神社がそれぞれ記載されています。
服部神社の真横に、玉垣を挟んで本殿が鎮まります。
本殿の真横という位置関係からも、この社殿の重要性が伺えるような気が致します。
こちらは拝殿向かって右手前の、鏡池に囲まれた場所に鎮まる物部神社・市杵嶋姫神社。
御祭神は炊屋姫命と宇麻志摩遲命で、物部守屋大連が合祀されています。
朱色の鳥居越しに、物部神社の祠を望みます。
水辺ということもあってか、この場所だけ一種独特の雰囲気が漂います。
その由緒は不詳で、神主の祖神を祀ったものと伝えられます。
物部守屋の「守屋」と、村屋神社の社叢「森屋の森」が重なります。
同じく「もりや」と発音し、お互いにその繋がりを感じさせます。
蔵堂村の中に「守屋」という中字が今も残っています。おそらく村屋神社の「村屋」も、元は「杜屋(もりや)」だったのかもしれません。長い歴史の中で、古文書が誤写されることはよくあります。境内に森屋大明神と刻まれた石灯籠を見かけましたが、そこにも同じような流れを感じます。村屋神社は物部氏の足跡がそこかしこに感じられるお社と言えるのではないでしょうか。
拝殿の右側に佇む村屋神社。
御祭神は天児屋根命、経津主神、比咲大神、武甕槌神、大伴健持大連、室屋大連です。
大連二神は壬申の乱に際し、吉野軍の将として活躍し、その功績が高かったために天武五年に合祀されています。
私は今回、大和川沿いの「はせがわ展望公園」の駐車場に車を停め、目的地の村屋神社を目指しました。境内の北東方向から村屋神社の神域に入って行ったのですが、その際に一番最初に目にしたのが境内摂社の村屋神社です。
村屋神社と書かれた札を見た時、この二つ並んだ祠が本殿なのかなとも思ったのですが、後になってそれが間違いであることを悟ります。本殿は村屋神社の斜め後方に鎮座していました。
村屋神社へのアクセス方法
私は以前から、桜井と田原本方面を結ぶ県道14号線をよく利用していました。
道路脇に近隣の観光スポットを案内する道標が立っていて、そこに記された村屋神社の名前を度々目にしていました。田原本に村屋神社という神社があることを薄々知りながら、今までなかなか訪れる機会がありませんでした。実は一度トライしてみたのですが、途中で道に迷って断念してしまったことがあります。そんな経験も踏まえて、今回は本腰を入れての村屋神社参拝となりました。
大和川沿いにあるはせがわ展望公園の駐車場。
この無料駐車場に車を停めて、徒歩で村屋神社を目指します。川沿いを歩いて橋を渡ると、向こう岸にも公園の駐車場がありました。私が駐車した場所よりも、さらに村屋神社に近い駐車場でした。ちなみに村屋神社には、二の鳥居手前に小さな駐車場が用意されています。舗装もされていない、ごくわずかなスペースの駐車場です。参拝客が複数組いる時などはすぐに埋まってしまいます。念のために、村屋神社参拝の折には「はせがわ展望公園」の駐車場を利用されることをおすすめします。
大和川に架かる橋を渡ったところ。
村屋神社の方向が示されています。川を挟んで反対方向には、浄福寺や柳本古墳群があります。
川沿いから右手へ下って行くと、村屋神社の社務所がありました。
神主様のお住いにもなっているのでしょうか。
村屋神社のパンフレットをかざします。
右手に見える塀が社務所です。進行方向に村屋神社の境内が見えています。小冊子の表紙に採用されている航空写真は奈良新聞社「日本史の源流」から引用されています。社叢の下方が棒状に長く伸びていますが、おそらく拝殿へ向かう参道に当たるものと思われます。
社叢の北東方から境内に入ります。
「車の進入禁止」と書かれた立札がありました。
このあと、境内の周囲をぐるりと一周しましたが、境内から外へ出る場所には必ずこの立札が見られました。
村屋神社へ車でアクセスする場合は、西名阪自動車道郡山・天理・法隆寺ICから約20分となっています。ちょっと入り組んだ分かりにくい場所にありますので、村屋神社の住所・奈良県磯城郡田原本町蔵堂426番地、あるいは電話番号の0744-32-3308をカーナビにインプットして出発されることをおすすめ致します。
電車での行き方は、近鉄橿原線田原本駅から東へ約2.5㎞です。タクシーで10分ほどかかりますから、徒歩での所要時間は約30分といったところでしょうか。あるいは、JR万葉まほろば線巻向駅から西へ徒歩30分となっています。いずれにしても最寄駅からの距離は相当ありますので、お車でアクセスされる方が無難ではないでしょうか。
恋愛成就、結婚祈願、夫婦円満にご利益のある村屋神社。お心当たりのある方は、是非一度お参りになられてみてはいかがでしょうか。
<田原本町の神社>