大和川の東岸に浄福寺というお寺があります。
浄福寺の宗派は融通念仏宗です。
私は大阪の平野にある融通念仏宗のお寺と縁があります。そんなこともあって、村屋神社参拝の後に立ち寄ってみることに致しました。
浄福寺の山号は東源山と言うようです。
対岸の大和川沿いからでも、とてもよく目立つ浄福寺。何が目立つのかと言えば、この辺りの建造物にはあまり見られないその特異な形状です。
下層方形・上層六角の浄福寺本堂
二層建築の本堂なのですが、その上層が六角形をしています。
どこか異国情緒を漂わせる建築物に、通りすがりの人でも足を止めて見入ってしまうのではないかと思わせます。
山門をくぐると、正面に浄福寺の本堂が構えます。
六角形の二層部分に虫籠窓のような意匠が見られますね。本堂左手前には、まだ真新しい報恩塔が建っていました。「開宗九百歳再興大通上人三百回御遠忌報恩之塔」と記されています。右手前の建物は薬師堂です。
浄福寺本堂には、慶応二年(1866年)6月24日のの棟札があります。御本尊は阿弥陀如来座像で、鎌倉時代後期の作とされます。その開基は元亀二年(1571年)に遡り、僧快運の中興と伝えられます。
浄福寺には元来、東浄福寺と西浄福寺の二寺が存在していて、蔵堂の本寺は東浄福寺に当たります。西浄福寺と共に、新薬師寺の草庵であったと伝えられます。本尊の阿弥陀如来座像は、元森屋伊与戸の大伽藍の旧仏と言い伝えられています。
本堂手前の薬師堂。
本堂に比べれば、質素で小ぢんまりとしたお堂です。
さらに薬師堂の手前には庚申さんが祀られていました。
浄福寺境内には鎌倉時代後期の花崗岩製露盤があるそうなのですが、残念ながら今回は見落としてしまいました。
大和川に架かる蔵堂橋を渡った所に、一際目を引く浄福寺の本堂が見えています。
このまま川沿いを右手に取って下れば村屋神社へとアクセスします。飛鳥川などもそうですが、大和川(初瀬川)も古来より氾濫を繰り返してきました。川沿いに位置するお寺や神社さんは大変だっただろうなと推測します。
橋を渡って東へ進むと、右手に浄福寺の本堂が見えて参りました。
本堂の裏手はお墓のようですね。
車から塀を守るためのガード設備のようです。
なるほど、車高の高い車だと上の瓦に当たってしまいますからね。幾重にも厳重にガードが施されています。
右手に曲がると山門なのですが、ちょうどその曲がり角も固くガードされていました。
今度は車の内輪差を意識しているのでしょうか、下部に真っ直ぐなガードが張られています。
浄福寺山門。
昔の浄福寺の名残を京都に見ることもできます。
京都府和束町石寺の青蓮寺跡に残されている古鐘。その永享十年(1438年)の鐘には、「大和州城下郡常福寺」の銘が刻まれています。浄福寺伝来の鐘であることに間違いはなさそうです。
浄福寺本堂。
いいですね、こういう建物も。
のんびりとした歴史散策にも、時にスパイスが必要です。鄙びた風情の村屋神社参詣の後だけに、私の中では一段と記憶に刻まれるお寺となりました。