写真家・入江泰吉旧居へ行って参りました。
類は友を呼ぶと申しますが、入江泰吉の元には様々な人が集まり情報交換が成されていたようです。入館料も200円とお手軽ですので、東大寺周辺の散策ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
入江泰吉旧居。
この前の通りを北へ向かえば、四天王像で知られる戒壇院があります。旧居の建つ水門町は、かつて東大寺の境内でした。近くには吉城川が流れ、風情ある町並みが続きます。外国人観光客で賑わう南大門へも徒歩数分ですが、明らかにそことは違う空気が流れています。
台風で折れた良弁杉の枝
館内ではガイドの方に色々お話をお伺いすることが出来ました。
単に見て回るだけでは知り得ない貴重な情報も!
その中でも特に印象に残ったのが、良弁杉の大枝です。1950(昭和25)年に発生したジェーン台風によって、東大寺二月堂前の良弁杉が折れてしまったそうです。その時の大枝が旧居の床の間に飾られていました。
良弁杉の枝。
今も二月堂の前には良弁杉がありますが、現在の良弁杉は4代目に当たります。ガイドの方のお話によれば、先代の良弁杉はもう少し小振りだったようです。1961(昭和36)の台風でも倒れたようで、今目にしている良弁杉の枝は2代目の良弁杉ということになりますね。ちなみに初代の良弁杉は樹齢600年で、かなりの巨木であったと伝わります。
東大寺の宝である良弁杉。
その折れてしまった枝を捨てるには忍びなかったのでしょう、今は入江泰吉旧居に居場所を見つけています。
国際奈良学セミナーハウスの角を北へ曲がり、入江泰吉旧居を目指します。
雰囲気のある土塀が続きます。
入江泰吉旧居の門。
お正月シーズンで、門松が飾られていました。
特別展示期間中のようです。
武者小路実篤からの書簡、武者小路実篤の肖像写真(入江泰吉撮影)・・・と案内されています。実は私、学生時代に武者小路実篤の小説を読んだことがあります。とても分かりやすい平易な文体で、親しみを覚えた記憶が蘇ります。在りし日の武者小路実篤も、このご近所に住んでいたそうです。短期間ではあったそうですが、入江泰吉との交友を深めるには十分だったようです。
開館時間と入館料が案内されています。
団体(20人以上)の入館料は半額の100円。英語では Residential Museum と表現するんですね。入江泰吉氏は1992(平成4)年に86歳で逝去されているようです。
入江泰吉旧居の玄関。
実はこの旧居、吉城園の中にあったものをこの地に移したものなんだそうです。元来は興福寺の塔頭だったようで、随所にお寺の建物を感じさせます。昔の民家に見られた土間が無く、直接部屋へと通じる造りになっています。
客間の床の間。
「山色清浄身」としたためられた掛軸。
読み方は山色清浄身(さんしょくしょうじょうしん)で、禅語の一つとされます。掛軸の右横に立て掛けられているのが、ジェーン台風で折れた良弁杉の枝です。
入江泰吉は東大寺の別当とも親しかったようです。
第206世東大寺別当の上司海雲(かみつかさ かいうん)との親交の中で、この枝を譲り受けたのかもしれませんね。
壺の下の木の台座にも注目です。
こちらの台座は、法隆寺の柱を利用したものなんだそうです。さりげなく部屋のあちこちにお宝が置かれています。これはもう、立派なリビングミュージアムですね。
床の間を背にし、2間ある客間を振り返ります。
出版社の方々との打合せの際、奥のソファに座って話をされたようです。手前の間は控え間のような位置付けで、順番待ちの待合室として使われたそうです。
薬師寺の薬師如来台座の拓本を見学
客間には入江泰吉氏の妻の書も飾られています。
達筆故、最初は何が書かれているのか分からなかったのですが、よく観察してみると「いろは唄」の書であることに気付きます。その他にも、欄間には薬師寺の国宝・薬師如来台座の拓本が飾られていました。白虎の拓本ですが、随分スマートな印象を受けました。
客間にあった写真。
文豪・志賀直哉や東大寺別当と並んでの記念撮影。
ちょうど真ん中に写っているのが志賀直哉です。志賀直哉旧居も奈良市高畑町で公開されていますが、同じエリアに住む同士であったことがうかがえるお写真ですね。
薬師如来台座の拓本。
「白虎馳西域」と書かれています。
奈良県内には、これと同じような拓本が多く出回っているようです。この拓本を見た見学者が、「私の家にもあるよ」とおっしゃられるのだそうです(笑) このようなお宝がなぜ、一般家庭にも出回っているのか?聞くところによると、薬師寺の管主だった高田好胤氏が気前よく配布なさったものだとか。お布施の謝礼だったのでしょうか?何はともあれ、国宝をそのままに写し取った拓本ですから大変貴重です。
西域を馳せる。
四神の中では西の守護神として知られる白虎。
文化人サロンにもなっていた入江泰吉旧居に飾られているのも頷けますね。巡り巡ってここに辿り着いたのでしょう。
入江泰吉氏の妻の書。
奥様が書かれたいろは歌ですが、文人の家にピタリとはまっていますね。
薬師寺の印も見られます。
キトラ古墳の白虎を見慣れているせいか、そのスマートな姿態が新鮮に映ります。
7年前のことになりますが、実際に薬師如来台座を見学したことがあります。
金堂に安置される実物の台座では、北方向の玄武しか見ることができません。しかしながら、境内の東僧坊に足を向ければ四神の一つ一つを確認することができます。台座模型とはいえ、葡萄唐草文様や蕃人(ばんじん)なども浮き彫りにされています。インド伝来の力神裸像の下に彫られているのが、白虎をはじめとする四神でした。
客間の南西方向は庭に面しています。
ガイドの方が鵤(イカル)という鳥を発見!
すぐさまカメラを取り出して撮影に臨んでおられます。一説には、奈良県の斑鳩(いかるが)の地名由来にもなっていると言います。角偏に鳥と書いて「鵤」ですが、これは角のように丈夫な嘴(くちばし)を持っていることに因みます。ググってみると、木の実を嘴で廻す習性もあるとのこと・・・
枝に止まったイカルに目を凝らしてみると、確かに黄色い頑丈そうな嘴でした。
居住されていた当時のソファ。
ゆったりサイズのソファですね。
背後には入江泰吉氏の蔵書が並んでいました。
同じタイトルの本が複数並んでいたりもするのですが、これは入江氏への献本です。
客間脇の廊下。
細い廊下が縁側のように張り出しています。
右手奥に建物が見えますが、居住当時はお風呂として利用されていたようです。
廊下の天井。
外側へ少し傾斜が付いていました。
ここで様々な会話が交わされたことでしょう。
松本清張氏の本も蔵書の中にありましたが、稀代の作家も招かれていた可能性がありますね。
客間を出た横に設えられた茶室。
普段見慣れている茶室に比べれば、やや広めでしょうか。
四角く区切られた小さい畳の下は炉になっています。
すぐ脇には庭が広がり、開放的な空間です。
早春には椿が開花するようで、その時期に訪れてみるのもいいでしょう。ちなみに、入江泰吉旧居から見る紅葉もおすすめです。
増築されたフロア。
ここだけ印象がガラリと変わります。
フローリング仕様でありながら、床の間も用意されています。その床の間に目を移すと・・・
入江泰吉へ宛てた武者小路実篤の書簡が展示されていました。
花の絵が添えられますが、6月の書簡ということで桔梗でしょうか。
武者小路実篤の肖像写真。
筆を手に黙考中です。
撮影はもちろん、入江泰吉氏です。
客間の仏頭。
いいですね、欄間にこういうのがあるとグッと場が引き締まります。
入江泰吉旧居の入館チケット半券。
おもむろに外を眺める入江泰吉氏が写っています。
生垣に咲く椿。
まだお正月期間ではありますが、もう開花しているんですね。
こちらは離れにある暗室。
中は拝見しませんでしたが、自作の棚で使いやすく工夫されているようです。
まずは古書に目を通し、創作のアイディアを練った入江泰吉氏。そこで得た着想を元に、撮影へと向かわれたようです。ただ単に、行き当たりばったりに撮られた写真ではないのですね。戦果を持ち帰って現像した場所が今も大切に残されていました。
水門橋。
吉城川に架かる水門橋は、入江泰吉旧居のすぐ近くにあります。
水を求めてなのか、奈良公園の鹿もこの辺りにはよく出没します。
入江氏の作品を鑑賞するには、奈良市写真美術館へ足を運びましょう。新薬師寺の近くにある美術館は、入江ワールドへの入口です。そして何より、入江氏のプライベートを感じる場所こそが、ここ入江泰吉旧居ということになりますね。
【入江泰吉旧居】
- 住 所:奈良県奈良市水門町49番地の2
- 休館日 :毎週月曜日(休日の場合は最も近い平日)
- アクセス:近鉄奈良駅から徒歩約15分 JR・近鉄奈良駅より奈良交通市内循環バス「県庁東」下車、または「青山住宅」「州見台8丁目」行き「押上町」下車、徒歩5分 駐車場はありません