「薬狩り(くすりがり)」という言葉をご存知でしょうか?
推古天皇の薬狩りは日本書紀にも記されていますが、今はあまり使われない言葉だけにその実態はよく知られていません。そこで今回は、この薬狩りにまつわるお話を展開してみようと思います。
高取町のかかしイベントに登場した薬狩りの場面。
鹿を狙って矢を射ろうとするシーンが再現されていますね。昨年度(2015年)に催された高取町の「町家のかかし巡り」の模様です。今年も間近に迫った人気のイベントですが、奈良の歴史を知る格好の学習材料にもなっています。
薬草や鹿の袋角を入手する宮中行事
薬狩りとは?
陰暦5月5日に山野に出て、薬草を摘み、鹿の袋角を取って薬用とした行事のことを言います。狩りの衣服を整えて山野に出たことから、着襲狩(きそいがり)とも呼ばれていたようです。正式な宮廷行事だったためか、みすぼらしい格好で参加するなどということはなかったのでしょうね。
町家のかかし巡りのメイン会場に、「薬狩り」の文字が見えます。
薬狩り行事においては、男性は猟に勤しみ、女性は薬草を摘むという役割分担があったようです。薬草が体にいいということは分かるのですが、鹿の袋角にも薬効があるのでしょうか。俄かには信じがたいのですが、色々調べてみると、確かに鹿の袋角には様々な薬効が認められているようです。
高取れんじの道を上がって来ると、左手にイベントのメイン会場がありました。
一口に鹿の角と言っても、若い鹿の袋角に限るようです。
中国の漢方では、実に3000年以上も前から不老長寿の妙薬として鹿茸(ろくじょう)が知られていました。鹿茸とは生え始めの袋角を切り取ったもので、まだ柔らかく骨化する前の角のことを言います。若い鹿ほど成分が濃く、高級であると言われます。
宮廷行事の薬狩り。
現代でも紅葉を愛でることを紅葉狩りと言ったりしますが、古代の薬狩りには実際の狩猟の意味合いも含まれていたのです。
よく私たちは「海の幸、山の幸」と表現しますが、この幸(さち)の語源は矢にあります。なぜ矢がサチなのか?その理由はこうです。
狩猟に使われる矢は、古くからヤと呼ばれていました。
朝鮮から新たな技術が入ってくるようになると、金属の矢尻を付けたものが輸入されるようになります。朝鮮語では矢のことをサル(sal)と呼んでいました。朝鮮語のル音は、日本語のツ音、あるいはチ音と対応します。そのため日本ではサルではなく、サツの矢、すなわちサツヤと呼び習わしていたようです。
矢に対する霊的な信仰から、矢が持つ霊力をサチと呼ぶようになります。そう言えば、大神神社にも丹塗矢伝説がありますよね。矢にはスピリチュアルなパワーが宿っているのです。
サチが良ければ良い獲物を手に入れることができたのです。
いつの頃からか、獲物そのものを幸(サチ)と呼ぶようになったという不思議なお話です。薬狩りの際も、弓矢を引く手に霊力が伝わっていたのかもしれませんね。
人気の庭木・アオキ。
高取町は薬の町としても有名ですが、鉢植えにされた薬草がメイン会場にずらりと並んでいました。
アオキ(青木)は日陰でも元気に育ち、民間薬の陀羅尼助に使われていることでも知られます。
アオキの効能が説明されていますね。
薬効:ひび・あかぎれ・やけど・切り傷・痔・打ち身・脱肛といった症状に効果的です。
ごく普通に庭木として見かけるアオキですが、色々な薬効が認められていることにちょっぴり驚きました。昔の人たちは、自然の中から身体にいいものを選ぶ目に長けていたのでしょうね。
一人は矢を射んとし、そしてもう一人は鹿に覆い被さっています(笑)
この袋角欲しさに、山野にまで足を伸ばしていたことを思います。手前の女性はコツコツと薬草を摘んでいます。
こちらは、同じく薬草のミシマサイコ。
乾燥させた根が、生薬の柴胡(さいこ)になります。その昔、静岡県の三島辺りで多く出荷されたことからミシマサイコの名前があります。
ミシマサイコの薬効も案内されていました。
薬効:解熱・鎮痛・解毒・抗炎症・頸痛・胆石・胃炎などに効果
薬狩りの歴史を今に伝え、薬で発展してきた高取町がうまくPRされていますね。
奈良県内にはまだ置き薬の慣習が残されており、当館でも定期的に薬の補充を続けています。薬とも縁が深い奈良の土壌が感じられる一日でした。