御所市稲宿にある安楽寺塔婆を見学して参りました。
三重塔の上部二層が失われた宝塔。とても珍しい建築物で、国の重要文化財にも指定されています。巨勢の道を巡る散策コースのほぼ最終ポイントに位置しています。
安楽寺塔婆。
三重塔の初重(しょじゅう)のみが残った稀有な建物です。
今回私は、国道309号線から安楽寺方面へ少し入った地点に車を停め、徒歩で安楽寺を目指しました。安楽寺よりさらに奥に御霊神社があり、神社の鳥居右手から塔婆へと続く畦道が付いていました。そこを伝って左へ曲がり、緩やかな坂道を登って行くと左手に稲宿公民館が見えて参ります。安楽寺塔婆はその先にありました。
三手先組物が美しい大日堂
安楽寺塔婆は現在、「大日堂」とも呼ばれているようです。
建物初重内には大日如来が手厚く祀られています。張り出した屋根の下には、職人の腕が光る三手先組物が見られます。この地に三重塔が建っていたのかと思うと、感慨深いものがあります。
安楽寺塔婆の脇に紫陽花が咲いていました。
向かって左側には、稲荷社も祀られています。ここにも神仏習合の空気が流れていました。
巨勢の道の道標。
坂道を左手に上がって行くと、安楽寺塔婆、葛城寺(かつじょうじ)方面へと続きます。右手に下れば、石棺安置の新宮山古墳にアクセスします。
ここにも案内されていました。
御所市稲宿の集落を訪れたなら、安楽寺、御霊神社、安楽寺塔婆、新宮山古墳は是非押さえておきたいところです。新宮山古墳は古墳好きにも人気の高い古墳として知られます。横穴式石室が開口しており、古代空間そのままに棺が残されています。
畦道から左に折れ、緩やかな坂道を登ります。
行く手左側の建物が、目印になる稲宿公民館です。安楽寺塔婆はさらにその奥です。
公民館を過ぎると、案内板が立っていました。
安楽寺塔婆は鎌倉時代の建築のようです。
ありました、ありました。
石段を上がった丘陵上に、その雄姿を讃えています。
重要文化財 安楽寺塔婆の解説パネル。
<名称> 安楽寺塔婆 一基
<構造型式> 桁行三間(けたゆきさんげん)、梁間三間(はりまさんげん)、一重(いちじゅう)、宝形造(ほうぎょうづくり)、本瓦葺(元三重塔初重)
<時代区分> 鎌倉後期
<指定年月日> 昭和36年3月23日
安楽寺塔婆が建つこのあたりには、中世まで葛城寺(かつじょうじ)の大規模な伽藍が営まれていたが、近世初頭に衰退し、この建物は現在は「大日堂」と呼ばれている。
この建物は、もと三重塔の初重(しょじゅう)が残ったもので、江戸時代前期の延宝8年(1680)に破損が著しかった二・三重及び相輪を降ろして初重のみを残し、軒を一軒(ひとのき)に縮め宝形造の屋根に改め規模を縮小した。また内部中央の須弥壇を撤去し、その奥に厨子と両脇壇(りょうわきだん)を設け、正面連子窓を半蔀戸(はんしとみど)に改造していた。それでも残存する三手先組物(みてさきくみもの)や長押・円柱(まるばしら)などの軸部材(じくぶざい)は、建立当初の部材・形態をよく残しており、また屋根内部には二・三重の部材が転用されながら保存されていた。
昭和63年10月から工期23カ月で保存修理を行い、初重は建立時の形式に復原し、宝形造の屋根を整備した。
かつては三重塔であったのが、上部二層が失われて今に至ります。
石段の横にも紫陽花が開花していました。
梅雨入りしたにもかかわらず、日照り続きの毎日ですね。カラ梅雨は紫陽花にも良くないような気がします。雨上がりの紫陽花が一番美しいと言いますが、これだけ照り返しが強いとあまり見栄えがしませんよね。
階段を上がると、安楽寺塔婆は柵に囲われていました。
西向きに建つ宝形造の塔婆です。
安楽寺はこの場所から北東方向に位置しています。高野山真言宗のお寺で、十一面観音を御本尊として祀ります。
ここにも紫陽花が。
この角度から見る屋根は反り返っていますね。脇にはベンチが置かれていて、休憩スペースが確保されていました。
安楽寺塔婆の横に祀られる稲荷社。
小さな祠ですが、稲宿集落の高所に鎮座しています。
三手先組物が美しい!
興福寺五重塔の初層下で見上げた光景を思い出します。巧みに組み上げられた意匠は興福寺と比べても、全く見劣りするものではありませんでした。
ここに三重塔が建っていたら、なお良かったでしょう。
でも、上部二層が失われた法塔であればこそ、これだけ存在感があるのかもしれません。何よりレアです、そして注目に値します。
少し離れて遠望することもできます。
畑仕事をなさっていた方にお声掛けすると、にこやかにご返答頂きました。建立年代は鎌倉時代とされますが、推測の域は出ず、まだはっきりとしたことは分かっていないそうです。
あくまでも建築様式から推し量ったもののようです。
安楽寺の前身は、中世まで栄えた葛城寺であるとする説もあります。大伽藍を誇ったという葛城寺ですが、安楽寺塔婆はその葛城寺の名残なのでしょうか。
宗教法人葛城寺の移転公告
延宝年間(1673~1681)に三重塔の九輪が墜落し、上の二層を失って下層のみをとどめたとする記述が『葛城寺縁起』に見られます。
葛城寺と安楽寺、そして安楽寺塔婆とその関係が気になります。
塔婆の見学を終え、来た道を引き返します。坂道を少し下って行くと、やがて左手に雰囲気のある井戸がありました。
公民館のすぐ近くですが、辺りは寂びれていました。
おそらくこの井戸も枯渇しているものと思われます。
光背を背負う地蔵石仏。
印を結び、静かに瞑想しているようです。
その奥に山門のような建物が見えます。落葉がふかふかに敷き詰められ、人の出入りが無いことを示しています。
うん?何やら御触書のようなものがありますね。
山門の通り道は板で塞がれていました。
宗教法人「葛城寺」移転公告。
このたび宗教法人法の規定による宗教法人「葛城寺」を移転することになりましたので公告します。
この場所に葛城寺があったということでしょうか。
宗教法人と書いてありますので、中世に大伽藍を擁した葛城寺とはまた違うのかもしれませんが、少し気になりますね。
先には進めませんでしたので、そのまま引き返しました。
今回の巨勢の道の散策では、主な観光スポットを網羅することができました。特に水泥古墳の見学はとても印象に残りました。大穴持神社と巨勢寺塔跡、それに大倉姫神社は次回の楽しみに取っておくことに致します。