現徳寺

葛城市観光マップを手に訪れた現徳寺。

孝女伊麻旧跡から角を曲がった所に門を構えるお寺です。

東光山現徳寺

東光山現徳寺。

布施弥七郎尉が文明年間に庵を結び、「東光庵」と号したのが現徳寺の起源とされます。布施弥七郎という人物は、現徳寺の南西方向にある布施城跡とも何か関係があるのかもしれません。

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霊木の松柿で知られる現徳寺

現徳寺の境内には、根部が松で、上部が柿という珍しい霊木があります。

当日はケータイが鳴って急用が出来たため、残念ながら現徳寺名物の松柿を拝観することができませんでしたが、次回は是非この目で見てみたいと思います。

現徳寺の寺紋

現徳寺山門横の瓦に、興味深い紋が刻まれていました。

下がり藤と思しき紋の中に井桁がデザインされ、さらにその中に交差する大根が見られます。この大根紋は、おそらく矢田聖天でも見た「違い大根」ではないかと思われます。大根の白色は息災を意味し、体内の毒や煩悩を消し去る効果があると伝えられます。

孝女伊麻旧跡の石標

山門向かって右手の角に、孝女伊麻旧跡を案内する石標が建っています。

この角を左に曲がってしばらく進むと、右手に伊麻の親孝行を称える旧跡が佇みます。病弱な父親に孝行を尽くした伊麻の生涯は、時代を経た今でも、多くの人々の心のよりどころとなっています。

現徳寺

「東光庵」と号していた現徳寺ですが、延徳3年に浄土真宗となり、「東光山現徳寺」と改めるに至ります。

山号の東光山の意味するところは何なのでしょうか。東の方角に光とくれば、やはり太陽がイメージされます。古代大和では、日の出の三輪山に対し、日の入りを象徴する山が二上山でした。現徳寺の西にそびえる二上山は、日没の山として親しまれていたことを思い出します。

蓮如上人御遺跡

蓮如上人御遺跡と刻まれています。

現徳寺の宗派は浄土真宗に属します。

決して大きいお寺ではありませんが、綿弓塚や長尾神社を巡る竹内街道を訪れたなら、少し足をのばして拝観してみられてはいかがでしょうか。

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