大和の大蛇の尾っぽに当たる長尾神社。
その社名からも長い尾っぽが想像されるわけですが、その昔、三輪山を何重にも取り巻く大蛇がいたことから、蛇の頭を大神神社、尾っぽが長尾神社に相当すると伝えられます。
長尾神社拝殿。
長尾神社は近鉄南大阪線磐城駅から徒歩5分ほどの場所に鎮座しています。
国道166号線沿いの葛城市役所當麻庁舎からも程近く、葛城市内観光のほぼ中心に位置します。
白蛇が封じられた御陰井跡
長尾神社の御祭神は天照大神、豊受大神(とようけのおおみかみ)、白雲別命(しらくもわけのみこと)、それに白蛇の化身と言われる水光姫命(みひかひめのみこと)とされます。
東の三輪明神から西の長尾神社にまで至った大蛇。
その中間地点には、大蛇の胴体と伝えられる石園坐多久虫玉神社(いそのにますたくむしたまじんじゃ)が鎮座しています。
長尾神社拝殿の右後方、絵馬殿の左手奥にひっそりと佇む御陰井跡。
注連縄と紙垂で結界が張られていました。
御陰井跡の案内板。
以下、案内板の内容を抜粋させて頂きます。
当社社伝に「水光姫命が応神天皇の御代に竹内村の三角磐に降臨され、子孫の加弥比加尼(かみひかね)に命じて当地に祀られたもので、その姿は白蛇であって、神社の北東の御陰井に封じた」と記された井戸跡です。
まさしく此処は奈良の隠れたパワースポットではないでしょうか。
長尾神社の鳥居下に蛙の石造物が見られます。
なで蛙と呼ばれ、その頭を撫でると、「無事帰る」「若返る」「お金が返る」などといった願い事が叶うと言い伝えられます。蛙のご利益にはどうやら語呂合わせが多いようですね。大神神社の摂社である率川神社境内にも、同じような意味合いの蛙石が置かれていたことを思い出します。
長尾神社に祀られる蛇に呑み込まれはしないかと心配してしまうのは余計なお節介でしょうか(笑)
竹内街道と長尾街道が交差する長尾神社周辺の道路案内図。
このまま長尾街道を南へ進めば、磐城小学校の前を通過して親孝行の話で有名な孝女伊麻旧跡へと辿り着きます。竹内街道を西へ取れば、松尾芭蕉の俳句で知られる綿弓塚へと続きます。
竹内街道の石標。
飛鳥の都と難波を結ぶ最古の官道である竹内街道。推古天皇21年に開通した官道は、今もなおその歴史の面影をとどめています。
竹内街道沿いに鎮座する長尾神社。
長尾神社の周辺道路は駐車禁止になっているようです。長尾神社には駐車場が完備されていませんので、県道御所・香芝線沿いの市営當麻観光駐車場を利用されることをおすすめ致します。くれぐれも迷惑駐車だけは慎むように致しましょう。
長尾神社の鳥居。
この鳥居の前に立ち、後ろを振り返ってみると、真っ直ぐ伸びる参道の遥か彼方にもう一つの鳥居が見えます。察するにこの鳥居は二の鳥居ということになるのでしょうか。
長尾神社の石碑の横に、大神神社宮司さんの揮毫と思われる文字が刻まれていました。
やはり大神神社との関係は深いようですね。
長尾神社拝殿。
境内は実に静かなのですが、一歩神社の外へ出ると、すぐ近くに近鉄南大阪線の線路が通っています。大阪の阿部野橋駅へと続く尺土駅、磐城駅、当麻寺駅、二上神社口駅が連なります。
以前から尺土(しゃくど)という地名に関心を持っていたのですが、この尺土の地名は坂門(さかと;坂に至る門)に由来しているようです。尺土の西方に位置する大阪・岩屋・竹内の各峠に至る坂の入口を意味しています。
當麻の地名由来にも、険しい坂道が連想されます。峠越えの前にお祈りするお社、それが長尾神社だったのかもしれません。交通安全の神様として信奉されている歴史が垣間見えます。
拝殿向かって右側の狛犬の足に紐が結び付けられていました。
狛犬の足の紐には止め事成就を祈願する意味合いがあると言われます。果たして参拝客の願い事は何だったのでしょうか。そんなことをぼんやりと考えながら境内を散策します。
長尾神社拝殿の右横には絵馬殿が佇みます。
格子状の木枠越しに中をのぞき込むと、たくさんの絵馬が掲げられていました。
鳥居向かって左下には、子供をおんぶするなで蛙が居ました。
子取り狛犬ならぬ、”子取り蛙” といった趣です。やっぱり愛嬌が感じられますよね。
長尾神社参拝案内
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大和の大蛇伝承のお社 長尾神社
住所:奈良県葛城市長尾471
拝観料:境内自由(無料)
駐車場:無し
アクセス:近鉄南大阪線磐城駅より徒歩5分