法隆寺の斑鳩付近の安堵町界隈に、「飽波(あくなみ)」という古代地名が残されています。飽波という地名の由来はどこから来ているのでしょうか?
切り灯心と飽波神社。
安堵町鎮護の神様である飽波神社を背景に、安堵町の伝統産業として知られる「灯芯引き」で作られた切り灯心を添えます。これぞまさしく、安堵町を象徴するツーショットです(笑)
低湿地を表す圷(あくつ)の謎
灯芯は藺草(いぐさ)の髄に当たる部分で、江戸時代の照明器具として使われていました。この芯を油に浸して、ほのかな灯りをともします。飽波神社が鎮座する辺りは、大和川や富雄川が流れていて、昔から水害の絶えない低湿地帯でした。
安堵町歴史民俗資料館の館内で、灯芯引きの様子が展示されていました。
写真右側に見えるのが藺草(いぐさ)ですね。
安堵町では、低湿地の泥田(どた)と呼ばれる排水の悪い土壌を利用して、江戸時代中期頃から灯芯用の藺草が栽培されてきた歴史があります。
灯芯が干されていますね。
乾燥させて出来上がった灯芯は、寺社の灯明や墨作りの採墨用灯芯などに利用されてきました。
古代地名の飽波のアクは、低湿地を表す圷(あくつ)の「つ」が省略された形ではないかと思われます。土偏に下、と書いて圷(あくつ)と読みます。いかにも湿気の感じられる漢字ではないでしょうか。
阿久津さんという苗字の由来も、同じく低湿地の圷(あくつ)に発するようです。
飽波のナミは、連なった状態を表しています。飽波(あくなみ)は低湿地が連なった安堵町界隈の地形を見事に表現している地名と言えるのではないでしょうか。
古代地名の飽波の謎に迫ってみました。