茅原大墓古墳から望む風景!桜井市の帆立貝式前方後円墳

茅原大墓古墳の絶景。

桧原神社から西へ下り、そこから南へとって大神神社の参道へ戻る途中、右手にこんもりと盛り上がる墳丘を見つけました。その墳丘が国の史跡に指定されている茅原大墓古墳であることを、道路脇の案内板で知ることになります。

茅原大墓古墳。

古墳の名前は以前から聞いていましたが、墳丘に登るのは今回が初めてでした。

茅原大墓古墳

茅原大墓古墳の墳頂から見る箸墓古墳。

北西方向に箸墓古墳、南西方向に大和三山や大神神社の大鳥居、そして東には神体山の三輪山を望みます。

桜井市茅原の弁天社古墳
三輪山麓にはたくさんの古墳がありますが、弁天社古墳もその中の一つです。 三輪山の西麓に広がる茅原区を歩きながら、初夏を彩るシロツメクサやポピーの花を楽しみます。神御前神社から少し北へ進むと、左側に大神神社末社の富士神社・厳島神社が見え...

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盾持人埴輪出土!三輪山を望む墳頂

大和の風景を楽しむには格好の、隠れたビュースポットではないでしょうか。以前まで墳頂部分には木々が生い茂っていた記憶がありますが、今ではすっかり綺麗に刈り取られています。

お陰さまで360度の風景を満喫することができました。

大和三山と大神神社大鳥居

やはりこの角度が一番おすすめです。

大和三山、三輪明神の大鳥居を眼下に収めます。

大和平野に太陽の光が当たって、神々しく浮かび上がる姿はまさに絶景です。

茅原大墓古墳は帆立貝式の前方後円墳として知られます。

帆立貝式とは一体どういうことかと申しますと、要するに前方後円墳の方墳部分が短いのです。大きな円墳に小さな方墳がくっ付いているような形をしています。その独特のフォルムゆえに、帆立貝式前方後円墳と呼ばれています。

会席料理のお造りに帆立を中盛りにすることがよくあるのですが、まずは大根のけんを下に敷いて、その上に帆立の貝殻を斜めに立て掛けます。

その際に、丸く弧を描いた部分を上にします。蝶番(ちょうつがい)に当たる部分を下にして末広型に見せるわけですが、この蝶番に相当するのが帆立貝式前方後円墳の前方部分というわけですね。

茅原大墓古墳

桧原神社から大神神社参道へ戻る途中、神御前神社の手前右側に茅原大墓古墳はあります。

1982年と言いますから、昭和57年に国の史跡に指定されています。

最近になって、日本最古の人物埴輪と言われる盾持人埴輪(たてもちびとはにわ)が出土したことでも知られます。

盾持人埴輪は古墳の端っこで出土したようですが、盾を持って外を向いた格好で発見されました。

古墳を守る目的で埋められたことが想像されます。お寺で言えば、南大門で睨みをきかせる仁王像のような役割でしょうか。神社に置き換えるなら、結界を表す注連縄や紙垂の役目を果たしていたのではないでしょうか。

昔はお偉いお方がお亡くなりになると、その道連れで殉死させられる人が多くいました。生きた人間を埋めるのが果たして良いことなのだろうかということで、その身代わりとして埴輪が創案されました。埴輪の立案者は、相撲の始祖として知られる野見宿禰(のみのすくね)です。

茅原大墓古墳の石段

茅原大墓古墳の墳丘に巡らされた階段。

ここを登って行くと、頂上の展望台に辿り着きます。観光客向けに展望台と銘打っているわけではないので、穴場のビュースポットということにしておきましょうか。

埴輪をお墓に埋めることを創案した野見宿禰ですが、長谷寺近くの十二柱神社の境内に顕彰碑が建っています。野見宿禰が垂仁天皇の前で相撲を取った場所は、茅原大墓古墳にも程近い相撲神社の境内に残されています。

埴輪に縁の深い野見宿禰ゆかりの地が、茅原大墓古墳の周辺に点在しているのも面白いですよね。

茅原大墓古墳から望む三輪山

墳丘の頂上から三輪山を望みます。

盾持人埴輪出土に湧いた茅原大墓古墳の現地説明会には残念ながら参加することができませんでした。

こうやって三輪山を眺めていると、古代の人たちがいかに三輪山を大切に思ってきたか。そのことに思いが至るのです。大和のあらゆる風景の中に、見事に溶け込んでいる三輪山の存在を改めて思います。