弓の名人として知られる那須与一。
与一の墓が、京都泉涌寺の近くにありました。
JR奈良線東福寺駅から東大路通へ出て、泉涌寺道を登って行きます。しばらく進むと、泉涌寺の総門が見えて参ります。その手前左側に、泉涌寺塔頭の即成院というお寺がありました。
即成院(そくじょういん)の本堂に、矢の標的・的をぶら下げた笹が飾られていました。
的を射る。
那須与一の墓所ということで、境内のあちこちに「願いが的へ」という言葉が見られます。即成院のキャッチフレーズなのでしょう。
平家物語の那須与一!屋島の戦いで放った矢
1185年の屋島の戦い。
治承・寿永の乱の中の一つで、現高松市の讃岐国屋島で行われた戦(いくさ)です。そこで活躍したのが那須与一というわけですね。
那須与一の墓。
本堂を突き抜けて奥へ進むと、立派な石造宝塔の墓が姿を現わしました。
東大路通から泉涌寺道へ向かう道路の傍らに石標が建っています。
泉涌寺といえば、数多くの天皇御陵が鎮まる場所として知られます。この辺りから何やら身の引き締まるような結界を感じます。西国十五番の今熊野観音寺へも、ここからアクセスすることができるんですね。
那須与一の墓が眠る即成院。
広大な寺域を誇る泉涌寺ですが、その入口に当たる総門前に位置しています。
那須与一の手洗い場。
お寺の手水舎ですが、心身を清める手水場にちょっとした工夫が凝らされていました。
手洗い場の向かって左側に、紙石鹸の自販機が置かれています。
この紙石鹸で手を清めるのだそうです。確かに紙石鹸を使うとなると、自然に手を合わせることになりますよね(^-^)
扇のマーク。
源氏と平氏が争った屋島の戦い(1185年)において、源氏方の武者として戦った那須与一。「南無八幡大菩薩」と唱えて放った矢は、見事に舟の上の扇を射抜いたと伝えられます。
願いが的へ。
那須与一にあやかって、諸願成就を祈念します。狙いを定めた祈りは、きっとその的を射抜くことでしょう。即成院本堂には、重要文化財の阿弥陀如来や二十五菩薩が安置されています。
那須与一の墓に絵馬が掲げられていました。
平家物語で語り継がれる与一の雄姿が描かれています。
本堂を抜けて那須与一の墓所へ通じる道。
「那須与市」と書かれていますね。与一と与市、どちらが正しい表記なのでしょうか。旅行ガイドブックを見てみても、その表記法はまちまちのようです(*^_^*)
それにしても、京都の東山山麓にはお墓が多いですよね。坂本龍馬が眠る京都霊山護国神社も東山山麓に位置しています。泉涌寺近くには、後堀川天皇観音寺陵、孝明天皇後月輪東山陵、英照皇太后後月輪東北陵をはじめ、数多くの天皇陵があります。
洛南エリアを観光するなら、伏見稲荷大社・東福寺・泉涌寺は外せないのではないでしょうか。平家物語のヒーロー、那須与一のお墓参りも兼ねることができる洛南観光も見所がいっぱいですヽ(^。^)ノ