神様の使いをこの目で見ることができます。
パワースポット石上神宮では、神の使いである鶏があちこちで動き回っています。
樹上に佇む石上神宮の鶏。
奈良県では動物たちが神の使いとして崇められています。
明けない夜は無い!太陽のパワーを呼び覚ます鶏の霊力
奈良公園の鹿、大神神社の蛇、石上神宮の鶏。
神様は色々な姿形で私たちの前に降臨します。奈良公園の鹿は別として、厳密に言えば石上神宮の鶏や三輪明神の蛇は「眷属」ではありません。眷属ではないにしても、広く知れ渡るシンボルであることに違いはありません。
目を閉じる鶏。
布きれのはためく手水処の横、国宝拝殿へと上がって行く石段で気持ち良さそうに佇んでいました。
眠っているのでしょうか?木に登っているかと思えば、参拝客の往来の激しい場所でじっとしていたり、実に様々な表情を見せてくれます。
以前から思っていたのですが、石上神宮の手水処に掛けられた白い布は、石上神宮の鎮座する布留という地名を意識しているのかもしれません。神剣を留めた不思議な布。その謎に満ちた布が、楼門手前の手水処で風になびいているのではないか?あくまでも個人的見解に過ぎませんが、そんな妄想が膨らみます。
色々な種類の鶏が放し飼いにされています。
失礼致しました、”放し飼い”なんて神の使いに対して無礼な表現ですよね(笑)
鶏小屋にも休憩している神鶏が数羽いました。
神聖な結界を表す紙垂(しで)が垂れ下がっていますね。
石上神宮の鶏が神様の使いである証です。
正面から見ればこんな感じです。
背後に見えているのは、石上神宮の国宝・出雲建雄神社割拝殿です。
建物の中心が通り抜けられるようになっている建築様式で知られます。馬が通る馬道(めどう)が施されているのですが、古来馬が大切にされてきた歴史がうかがえます。
神社に奉納される絵馬も、元をただせば神様に奉納された本物の馬に行き着きます。寺社の門前には下馬札が掲げられ、鳥居の柱には馬を繋ぐ輪っかが見られます。全国の寺社境内のあちこちに、馬と人が歩んできた歴史が垣間見えます。
国宝の拝殿。
神々しい雰囲気に圧倒されます。
木の上でも悠然と構えていますね。
石上神宮の鶏はバランス感覚に秀でているのでしょうか。「落ちない鶏」として、合格祈願の絵馬にもデザインされていました。
石上神宮の鶏を見ると、古事記における天の岩屋戸のお話を思い出します。
弟のスサノオノミコトの狼藉に失望するアマテラス。
スサノオの乱暴は度を越しており、祭殿に糞をしたり、逆剥ぎにした馬を服屋(はたや)に投げ入れて機織り女を殺してしまったりもしました。たまらなくなったアマテラスは天の岩屋の戸を開いて引き籠ってしまいます。
高天原はすっかり暗くなり、世の中は大変な混乱へと向かいます。
困り果てた神々は、天の安の河原に集まってそれぞれのアイディアを出し合い協議します。いい案がまとまり、いよいよ実行の時がやって来ます。その時に活躍するのが鶏なのです。
集められた常世の長鳴鶏(ながなきどり)を鳴かせて朝が来たことを知らせます。この時、鶏の鳴き声は何を意味するのでしょうか?
長い夜を終わらせて、朝の到来を知らせる鶏の鳴き声。それはまさしく、太陽であるアマテラスを蘇らせる合図とも言えるのではないでしょうか。どうも鶏には、太陽のパワーを呼び覚ますチカラが備わっているような気がするのです。
七支刀のクリアファイル。
スタンダードなお守りもいいですが、こういう実用的なものもいいと思います。
普段は拝観することのできない石上神宮の国宝ですが、商品化して頂くと有難いですよね。常に身近に感じることができます。
太陽神(アマテラス)という意味では、石上神宮よりも大神神社の方にその関連性を見出します。かつてアマテラスが祀られた元伊勢の檜原神社に、三輪山の頂上に祀られる太陽の神様。
同じ山の辺の道の途上に鎮まる石上神宮は物部氏の氏神です。
古代の武器庫というイメージに加え、「太陽を復活させる鶏」という観点でも注目してみたいと思います。