高校野球でお馴染みの奈良・智辯学園高校。
五條市内を巡る中、避けては通れぬエリアなのかもしれません。花のみてら金剛寺を参拝した後、次はどこへ行こうかと地図を広げます。なんと智辯学園が近くにあるではないかと、迷わずその総本山である如意寺を目指しました。
辯天宗総本山の如意寺。
金剛寺から徒歩5分と掛からなかったでしょうか。金剛寺から西へ向かい、JAの角で左折します。岡松家長屋門を右手に見ながら赤滝五條線(県道138号)を南下し、喫茶店の角で右折します。やがて右手に山門が見えてきました。
智辯の教え!自分を下に置く流れる水の心
辯天宗総本山如意寺の御本尊は大辯才天女尊です。
辯天宗の歴史はまだ新しく、1934年(昭和9年)に遡ります。当時の宇智郡野原村(現五條市)の十輪寺住職・大森智祥の妻であった大森智辯(大森清子)が大辯才天女尊より天啓を受けたと伝わります。その教えは「五行のお諭し」に示されます。さらに辯天宗には「水の心のお諭し」があり、迷える私の心を捉えました。
燈籠の浮き彫り。
おそらく智辯尊女様でしょう。蓮の上で合掌なさっています。
山門扉の寺紋。
この五角形は桔梗紋だと思われます。境内のあちこちで桔梗紋があしらわれていました。
GOJO MAPの如意寺案内。
辯天宗発祥の地。年間を通じて多くの祭典が執行される祈りの聖地です。御本尊は大辯才天女尊。宗祖智辯尊女は生涯を苦衆救済に尽くされました。
喫茶店の向かいには、如意寺の駐車場がありました。
周辺には多くの駐車場が整備され、信仰の厚さが伺えます。祭典日には多くの信者で賑わうことでしょう。この後、宗祖御廟や智辯学園にも足を運びました。辺り一帯は智辯一色で、天理教の街の縮小版といった趣です。奈良県高校野球界が誇る智辯学園と天理高校ですが、よく似た雰囲気を感じました。
道標を右折し、築地塀沿いに進みます。
この右手がもう、如意寺の境内です。築地塀の白線ですが、ちょうど5本入っていますね。筋塀(すじべい)と呼ばれるラインで、格式の高さを表します。興福寺でも、五本の筋塀を見たことを思い出しました。
如意寺山門。
上(かみ)から下(しも)へ流れる水。
水とはそういうものです。何かを生み出したり、物事を生かすためには「流れ」を必要とします。幸福を生み出す秘訣は、自分を「下」に置くこと。他者を「上」に置いて敬い、流れをつくることが必要と説きます。悩んで止まっていても解決しません。よどみなく流れ続ける水は、私たちに大切なことを教えてくれます。
如意寺の手水舎。
浄水と刻む手水鉢にも、桔梗紋が見られます。
掃き清められた本堂前の参道。
両側に結界の柵が並び、正面には“お百度石”が建ちます。
如意宝珠を冠す香炉台にも、桔梗紋を刻みます。
合格祈願の絵馬。
絵馬にも寺紋があしらわれていますが、思えば絵馬も基本“五角形”ですね。
こちらにも。
智辯学園高校と言えば、読売巨人軍の岡本和真選手が頭をよぎります。今や押しも押されぬジャイアンツの4番バッターです。岡本選手にも少なからず、流れる水の心が引き継がれているのでしょう。
本堂横のお堂。
こちらも立派な建物ですね。
お堂前には宗祖の手形がありました。
おそらく小柄なお方だったかと思われます。よく見ると、この石材も丸みを帯びた五角形ですね。
さきほどのお堂と授与所の前に、何やら結界らしき“囲い”がありました。
紙垂が下がり、神聖な場所であることが分かります。
如意寺の百度石。
位置取りが、一直線に真ん前です!これだけでもう、気持ち良く整ったような気がします。
百度石にも桔梗紋。
過去から現在、未来へと流れ続ける時間。一時も止まることはありません。
さらに流れる水には空間がありません。同じ空間だと思っていても、流れ続けている限り“違う空間”へと移っていきます。時空を超越した水に敬意を払いたいですね。
御幣でしょうか。
辯天宗のメッカに行くのは初めてでした。
来てみて分かりますが、場が清められています。とにかく清々しいのです。お天気のせい?いや、何かが違うのでしょう。
祭事の案内。
御神池お水替え祭では、笹祈願の短冊が用意されているようです。夏の病封じ・きゅうり加持にも注目ですね。思えば京都の祇園祭も胡瓜がシンボルになっています。暑気払いにきゅうり、これはどうやら定番のようです。