高見川の筏流し。
木材の運搬に際し、昔は筏(いかだ)が使われていました。その出発点とも言える場所に、かつて信仰を集めた石が佇みます。その名も「爺婆石(じじばばいし)」。丹生川上神社中社の神域入口で、参拝客を出迎えていました。
鳥居両脇の爺婆石。
道路横は清流の高見川です。ちょうどこの辺りが筏下りのスタート地点だったようです。便利な“動力”など無い時代です。自然のチカラに任せて下流まで下って行くのが筏ですから、まずは勢いを付けなければなりません。そのため、鉄砲堰(てっぽうぜき)が作られました。
延命長寿、夫婦円満を願う爺婆石!道中安全を祈願する命がけの筏乗り
今の時代、鉄砲堰と言ってもピンときませんよね。
鉄砲堰とは丸太で小型のダムを造り、水を溜めてから破堤させ、木材を下流に押し流す輸送手段のことです。溜まった水の勢いで、一気に押し流す方法を取ります。つまり、一番危険なポイントということになります。
爺婆石の片方、こちらは婆石(ばばいし)ですね。
危険な仕事であった筏下り。
その道中の安全を、人生の先輩である翁(おきな)に祈る信仰が生まれたようです。技術や経験が物を言った筏乗りの世界。百戦錬磨の賢者にすがる気持ちは、自然に湧いてきたことでしょう。
東吉野村の中心エリア・小川方面から車を走らせ、丹生川上神社中社にアクセスします。
青色の幟が出迎えてくれました。
爺婆石の解説。
鳥居に向かって正面左側が爺石、右側が婆石で夫婦石とも呼ばれている。かつてこの地方では、木材の搬送の主力が筏で享保年間(1724年頃)より紀州に送り出すのに始まったとされる。
当村より切り出された木材は筏を組み、爺婆石下の所を目安として川をせき止めて、水を溜める鉄砲ぜきをつくり、鉄砲水を送って筏を流す処から、筏乗りは多年の経験を積んで一人前となったが、この筏にて川を下るという事は命がけの仕事であった。道中の安全を翁(人生の先輩、知恵を持つ賢者)に祈る信仰がいつしか生まれ、それが爺婆石の姿となった。
その後、時代の変遷と共に木材の運搬も自動車を主体としたものに移り変わり、筏流しも見られなくなったが、道中の安全を願う心は今も変わらない。昨今では延命長寿・夫婦円満を願う老若男女が爺婆石をなでる姿が見られる。
爺婆石(夫婦石)を正面から。
左が爺石で、右が婆石です。この鳥居をくぐり、真っ直ぐ進むと木霊神社がありました。丹生川上神社の中枢エリアはもう少し先です。拝殿横のなでふくろうなど、見どころ一杯の神社でした。
水神を祀る丹生川上神社中社。
絵馬に描かれる黒馬と白馬は、五穀豊穣と深いつながりがあります。雨乞いの黒馬と、止雨を祈願する白馬。古来より、衆生の生活に密接につながるお社です。
筏下りの恐怖に打ち勝つため、師と仰ぐ人に心を寄せる。
それがいつしか、爺婆石の信仰へと発展していきます。
吉野川の支流の一つである高見川・・・近畿の屋根・台高山脈を源流とする美しい川ですが、かつては木材の運搬にも使われていたんですね。
吉野川流域には、筏乗りの神様・水分神社があります。吉野材の歴史に触れる旅も面白そうです!