三輪山の麓にある茅原狐塚(ちはらきつねづか)古墳をご案内致します。
桜井市茅原に位置し、巨大な横穴式石室を持つ方墳です。石室を覆う封土がほぼ失われており、方墳の規模も定かではありませんが、一辺50mほどの規模を持つ古墳ではないかと推測されます。
開口部の前にキュートな埴輪が置かれていました(笑)
巨大な花崗岩で組まれた両袖式横穴式石室が南に開口しています。被葬者は三輪氏関連の豪族ではないかと言われていますが、その真相は謎に包まれたままです。
神の鎮まる三輪山麓に、全国屈指の巨石古墳が佇む光景は古墳ファンならずとも息を呑む瞬間です。
茅原の地名由来
茅原地区は、私の住む三輪地区と同じく、古来より瑞垣郷(みずがきごう)と呼ばれる三輪山麓の結界内に位置しています。茅原は田畑に囲まれた風光明媚な場所で、三輪山を背景にした写真をあちこちで見かけます。
茅原狐塚古墳の背後に三輪山を望みます。
茅原とは、イネ科の草・茅(ちがや)の叢生する原っぱを意味しています。
一種の植物地名なわけですが、茅(ちがや)は全国各地の神社で見られる茅の輪神事でもおなじみです。上半期の穢れを祓う茅の輪くぐりですが、大神神社や綱越神社に於いても毎年行われています。「崇神紀」には「神浅茅原(かむあさぢはら)」の地名が見られますが、天皇が多くの神々の霊を招いて、この地に卜問(うらとひ)をされたと記されます。大神神社の摂社・神御前神社のある辺りが神浅茅原ではないかとも言われますが、茅原が聖なる場所であることを今に伝えています。
石室の中を覗き込みます。
開口部手前には柵があって、石室内に入ることはできません。以前は中にも入れたようですが、今は結界が張られています。大小の巨石が巧みに積まれている様子が分かりますね。奥壁の向こうから光が差しています。かなり大きな隙間が空いていますので、懐中電灯が無くても十分に石室内を見学することができます。
反対側の奥壁上部から中を見ます。
茅原狐塚古墳は、1956年に大三輪町史編纂のため発掘調査が行われています。
その規模は全長が17.3mで、玄室の長さ6m、幅2.6m、高さ3.2m、そして羨道部分の長さは11.3m、幅2.1mであることが判明しています。これだけ大きな石室を擁する古墳であるにも関わらず、その名を知られることもなくひっそりとこの場に佇んでいます。
桜井市内にも数多くの横穴式石室がありますが、その中でも一番長い石室なんだそうです。
石棺材の一部なのでしょうか、湿気を感じさせる石室の中に散乱していました。
飛鳥の石舞台古墳にもわずかな隙間があって、石室内を幾度か覗き込んだことがあるのですが、その時のことを思い出してしまいました。観光客向けにきちんと整備された石舞台古墳とは違い、ありのままの姿を見せられたような気が致します。
棺は残されていないのですが、玄室に3棺と、羨道部にも木棺があったのではないかと思われます。
出土遺物も幾つか確認されており、玄室から多数の須恵器杯、羨道部からは鉄直刀と思われる小残片・木棺の釘・土師器破片等が発見されています。茅原狐塚古墳の築造時期は6世紀末から7世紀初め頃とされます。
場所は茅原大墓古墳の近く
茅原狐塚古墳のある場所は、帆立貝式前方後円墳として知られる茅原大墓古墳のすぐ近くです。
方角的には茅原大墓古墳の南西方向に当たります。
電柱に「チハラ」の文字が見えます。
右向こうに見えている墳丘が茅原大墓古墳です。
三ツ鳥居が新調された檜原神社を参拝し、山の辺の道を外れてそのまま西へ坂道を下ります。右前方に箸墓古墳を見ながら左へ折れ、三輪の家へと帰路を辿ります。しばらく歩くと、左手に現れるのが茅原大墓古墳です。
三輪山を背景にする茅原大墓古墳。
茅原大墓古墳の周囲には幅13mの周濠が巡らされていたようです。ちょうど西側には溜池があり、その名残ではないかと思われます。茅原大墓古墳の墳丘は葺石で覆われ、円筒埴輪が樹立していたと伝えられます。
今もこの墳丘の上に登ることができます。
茅原大墓古墳から望む箸墓古墳や大神神社大鳥居の風景は格別です。
意外な穴場ですので、三輪山麓を散策される際には是非トライしてみて下さい。
茅原大墓古墳の右手奥に、大神神社の大鳥居を望みます。
後円部東側の溝から出土した盾持ち人埴輪のニュースは記憶に新しいところです。円筒の上に、三角兜(かぶと)を被った人間の頭を乗せ、前面に盾を貼り付ける構造になっていたようです。
蒲(がま)の穂ですね。
JR万葉まほろば線の西側を線路に沿って歩いていると、畦道の脇に蒲の穂の姿が見られました。蒲の穂はうなぎの蒲焼の由来にもなっています(笑)
北側から茅原狐塚古墳を撮影。
みかん畑の中に静かに佇みます。
茅原狐塚古墳に辿り着き、石室の周りをぐるっと回って開口部へと歩を進めます。
石室のすぐ近くに小屋がありました。農作業をされている方の農機具置場でしょうか。
こんな感じです。
生活感たっぷりの光景ですね(笑)
開口部の手前に水路が見られますが、石室内にも排水施設があったものと思われます。人の顔に例えるならば、おでこが広いと申しますか、それにしても大きな天井石が見学者を出迎えてくれます。
JR線路脇の蜜柑畑に囲まれる茅原狐塚古墳
JR万葉まほろば線を利用される方であれば、一度はこの古墳を見たことがあるはずなのです。
しかしながら、その名前はおろか存在すら知られていないのが実情です。JR三輪駅から巻向駅へ向かう途中、線路のすぐ右手に見えるのが茅原狐塚古墳です。注意して見ていないと通り過ぎるばかりですが、それと意識していれば見落とすこともないでしょう。それぐらい分かりやすい場所にあります。
古墳を取り囲むみかん畑。
山の辺の道界隈を歩いていると、至る所に柿畑やみかん畑が広がっています。この地の名産でもあり、古墳とのツーショットもあちこちで見ることができます。
茅原狐塚古墳からJRの線路を見下ろします。
遥か彼方に大神神社の大鳥居も見えています。
線路の向こう側、田圃の中に人影が見られますね。古墳見学の後、近くまで行ってご挨拶差し上げたのですが、生駒市からこの地に通って写真撮影を続けておられるようです。撮り鉄でいらっしゃるのでしょうか、走り抜ける列車に何度もシャッターを切っておられました。
JR列車が通り抜けます。
背後に三輪山、そしてその手前には通過列車で隠れていますが茅原狐塚古墳が佇みます。
ぽこっぽこっと石が顔を出していますね。
手前に立つ木は桜でしょうか。花の咲く季節に訪れてみても面白そうです。
こんな所にも隙間を発見。
自然な感じが出ていてイイですね。
茅原狐塚古墳の石室は、御所市古瀬の水泥塚穴(みどろつかあな)古墳の石室と同じ工人集団によって造られたのではないかと言われます。
誰の墓なのか、そして誰が造った墓なのか?
歴史の謎の解明は、遅々として進まないことが往々にしてあります。そして、そのことがまたロマンを広げる手助けになっているのかもしれませんね。
普段はこの場所で、農作業に勤しむ農家の方々の姿が見られるのでしょうね。
古代の異空間と現代の生活空間が交差します。
農機具置場かと思った小屋ですが、「芭尼庵」と書かれた看板が掛かっていました。
ちょっとした休憩もできるのかもしれません。
小屋の反対側には机とベンチがありました。
細い丸太で組まれたベンチに座り、お弁当でも広げられそうな場所が用意されています。農家の方がここで寛いでいらっしゃるのかもしれません。
JRの線路脇にも「狐塚」と記されたプレートがありました。
おそらく列車の運転士さんが目視されるためのプレートだと思われますが、地元の人もこの辺りのことを狐塚と呼んでいることが伺えます。
たまには大和最大の聖地・三輪山麓を歩いてみるのもいいものです。その途上で、茅原狐塚古墳のような大きな古墳に出会うこともできます。