馬見丘陵公園の南駐車場。
車を降りると、すぐそこにヒマワリ畑が広がっていました。巣山古墳に程近く、「夏の花畑エリア」と案内されています。車道を挟んだカリヨンの丘も含め、6,400株のサンフィニティひまわりの花畑が眼前に広がります!
夏の花畑エリアに咲くひまわり。
真夏はどこも暑く、観光気分が削がれます。クーラーの効いた博物館や資料館に足が向きがちですが、元気いっぱい屋外に咲くヒマワリを見ると元気がもらえますね。
笠蓋付きの円筒棺!ヒマワリを望む出土場所
馬見丘陵公園は古墳公園です。
元気いっぱい咲いていたヒマワリも、時が来れば枯れます。そう、萎(しお)れて枯れてしまうのです。人も同じです。誰しもいつかは死を迎えます。そんな埋葬の場所にお花畑が広がっています。
円筒棺の出土場所。
ここから副葬品と共に、円筒状の棺が出土したようです。棺(ひつぎ)という言葉には深い意味が込められています。棺の語源は、「霊(ひ)継ぎ」にあると言います。たとえ肉体は滅びようとも、その霊性は永遠に継がれていきます。
円筒棺の出土状況。
粉々になっていますが、棺身(かんみ)の両端に取り付けられていたという笠状の蓋は判別できますね。
花が萎れる、しなる・・・これらはいずれも「死ぬ」に近い言葉です。弓がしなると、その反動で勢いよく矢が放たれますよね。しなると全てが終わりではなく、新しい何かが生まれるのかもしれません。the end ではなく、次の動きが待っています。人が死ぬのも同じことだと思いたいです。
接合して復元した円筒棺。
古代人が意図したわけではないのでしょうが、まるでタイムカプセルを思わせる形状です。円筒棺の中には副葬品が納められ、被葬者の権力を匂わせます。
円筒棺の出土状況が案内されていました。
巣山古墳外堤の北側に位置する古墳状高まりから、古墳時代中期初め(4世紀末)の円筒棺と呼ばれる土製の棺が出土しました。この円筒は棺としてつくられ、その作り方は埴輪と共通しています。土管のような筒状の棺身(かんみ)の両端には、笠状の蓋が付けられていました。棺身には12本、蓋には数本の帯状の突帯(とったい)と呼ばれる粘土紐が貼り付けられています。棺身は長さ1.5m、最大径55cmを測ります。
円筒棺の内部には、鉄剣、鉄鏃、鉄鎌、鉄斧(てっぷ)が副葬品として納められていました。円筒棺に副葬品を伴う事例は少なく、埋葬された人物が有力者であったことをうかがわせます。
円筒棺の出土により、古墳状高まりが古墳時代には埋葬場所として認識されていたことがわかりました。なお、ここでは地面に石を並べて円筒棺が出土した位置を示しています。
馬見丘陵公園の南駐車場。
公園館エリアの駐車場に比べれば小さいですが、夏の花畑エリアを観賞するにはここがおすすめです。
一面のひまわり畑。
南エリアは人も少なく、ゆっくり向日葵と向き合えます。人が映り込むことも滅多にないので、動画撮影にも向いているのではないでしょうか。
すぐ傍には、巣山古墳の前方部が迫ります。
命は絶え、また生まれして延々と繰り返されていきます。花が刻むリズムと古墳が刻むリズム。そのスパンこそ違いますが、流れ的には同じです。
水やりのホースでしょうか。
これだけ暑いと、向日葵も定期的に水を欲するでしょう。
花は枯れて人は死ぬ。
夏に開花するひまわりは、四神の発想に照らせば“燃える赤色”でしょう。人生に例えるなら、働き盛りの壮年期。今がピークと、ありったけのエネルギーを発散させます。
そんなヒマワリも、時の流れには抗えません。
いい時もあれば悪い時もある。長い人生、色んなことが起こります。
何をやっても駄目と投げ出すのではなく、悪いなりに進んで行く。絶不調のままでいいから、歩みを止めずに進んで行く。花のサイクルに触れると、そこに日常生活が投影されます。三歩進んで二歩下がる、そのぐらいのペースでちょうどいいと思うのです。
草木の枯れる冬は、「殖ゆ(ふゆ)」からきていると言います。
目には見えなくとも、地中でエネルギーを増産させているイメージです。そんな越冬の時期を経て、芽がぷっくりと“張る”春を迎えます。
春のチューリップに始まり、初夏の花菖蒲、真夏のひまわり、秋のダリアと続く馬見丘陵公園の花園。入れ代わり立ち代わり、花の種類を変えながら毎年続いていく花の祭典に想いを馳せます。