大和郡山市の稗田環濠集落を一周して来ました。
奈良県内には環濠集落が数多くありますが、ほぼ完全な形で残る稗田環濠集落は大変貴重です。南東部に売太神社を擁する大和郡山市指定文化財をご案内致します。
稗田環濠集落の七曲り。
集落の表鬼門に当たる北東部が、カクカクと曲がりくねっていました。古代中国の古城に一致する造りなんだそうです。ちなみに裏鬼門の南西部は張り出しており、馬出しの機能でも担っていたのではないでしょうか。
中世争乱期の自衛目的!灌漑や水運にも利用された環濠集落
古事記の伝承者・稗田阿礼を祀る売太神社。
知恵の神として知られるお社ですが、稗田環濠集落の入口付近に鎮座しています。ちょうど環濠集落の南東部に位置し、そこから北西へ向けて広がっています。
稗田環濠集落の西側です。
古代史最大の戦いと称される“壬申の乱”の記述にも、既に稗田の地名は登場しています。実際に環濠集落が出来たのは中世以降だと思われますが、古い地名であることに変わりはありません。
売太神社の朱色鳥居。
売太橋(めたばし)の手前から集落に入り、細い道を歩き始めます。ほどなく左手に朱鳥居が見えてきました。裏口から境内に入ることも出来るようです。
稗田環濠集落の航空写真。
南東角に売太神社の社叢が広がります。南西部が突出していますが、かつては防備のための馬出しがあったのかもしれません。売太神社は主郭だったのでしょうか。
東西250m、南北200mの環濠は、東北角が段階状に七曲りし、西南角が南方に突出した形態で、古代中国の古城に一致している。最大規模であることと、原型に最も近い姿で現存することについては他に例を見ない。
細い道を進みます。
見通しの悪さは環濠集落にはありがちですね。
環濠に沿うように道が付いています。
七曲りに入るポイントですね。
振り返ると、その曲がり具合が再確認できます。
ここは奈良盆地。東の彼方に山並みを望みます。
蛇行しながら環濠が続きます。
稗田環濠集落の見所は、やはり北東部ですね。中世から変わることなく、この形が残されていることを思うと、奈良県景観資産になっていることも頷けます。
民家が環濠に迫ります。
今も人々の営みがある中、残り続ける歴史遺構。
おっ、これは昭和型板ガラスですね。
今は製造されておらず、このまま時が進めば貴重なものになっていくでしょう。
木標が建っていました。
さほど広い集落でもありませんので、数十分もあれば一周することが出来ます。
クネクネと・・・
山の辺の道に竹之内環濠集落がありますが、一部が埋め戻されています。稗田環濠集落のようにほぼ完全な形で残っているのは奇跡ですね。
平野部に築かれることの多い環濠集落。
稗田環濠集落の西方には田畑が広がり、随分開放的でした。
民家の裏庭から下りて来る階段。
かつては生活用水としての利便性もあったのでしょう。
所々に植栽も見られます。
私のような散策客にはいいアクセントになります。
環濠と大和棟の景観が同時に見られる場所。
大変珍しい中世の遺構です。
奈良県景観資産の案内板。
そのまんまで絵になる景観ですね。
ワカツキの住所表示。
稗田町の隣町・若槻町です。ちなみに稗田環濠集落の所在地は、大和郡山市稗田町になります。
下ツ道の標。
売太神社や稗田環濠集落は、下ツ道沿いにあります。
古代の主要幹線道路・下ツ道の案内板。
稗田遺跡から出土した祭祀具も案内されていました。土馬や墨書人面土器など、古代史好きには興味の尽きないところですね。
ここは稗田町。
橿原市の今井町などは、エリアが広いため一周するのに時間が掛かります。その点、稗田環濠集落は気軽に回れるのではないでしょうか。
南西の張り出し部。
裏鬼門に当たる場所です。
稗田環濠集落の地図。
「現在位置」は売太神社を示します。表鬼門の七曲りや、裏鬼門の突出部がよく分かります。
歩いてみて初めて分かる環濠集落。
自分の足で確認する大切さを改めて感じました。