安倍文殊院の拝観受付近くに伊勢神宮への大道標が立っています。
十数年前までは見られなかった大道標ですが、元は安倍文殊院の庭園に非公開で保存されていたそうです。平成20年からこの場所で公開されるに至っています。
随分大きい石標です。
江戸時代の伊勢街道はお伊勢さん詣りで大変賑わいました。その通り道に、この道標が建っていました。老いも若きも、とにかく「お伊勢さん、お伊勢さん」だったわけですね。
仁王堂の辻に建っていた道標
昨今のパワースポットブームで伊勢神宮の参拝客も増えていると聞きますが、歴史は繰り返すものです。
「伊勢神宮への大道標」の正面。
「右、はせ(長谷)、いせ(伊勢)、左、たへま(当麻)、大坂(大阪)道」と書かれています。
この道標は、かつて安倍文殊院の仁王門があった仁王堂の辻の伊勢街道に南向きに置かれていました。かつての方角に合わせるように、現在の場所に移設されています。今も右方向(東)には、長谷寺や伊勢神宮があり、左方向(西)は当麻寺や大阪方面へと続きます。
昔の漢字表記法では、大阪は大坂と表記するようです。
安倍文殊院へアクセスする際、済生会中和病院の裏手を通るルートがあるんですが、確かその通りに「仁王堂」という名前のバス停があったことを思い出します。
向って左側に刻まれた文字を見ます。
「右あべ山、をか寺みち」と記されています。方角的にも合致しますよね。初夏のシャクナゲで有名な岡寺は飛鳥方面に位置しています。このまま右へ道を取れば、歴史街道の磐余の道を散策しながら飛鳥方面へと続いていきます。
安倍文殊院の紅葉。
参道脇のお地蔵さんと紅葉のコントラストです。
「神仏霊場開創記念」と題する案内板がありました。
標石の高さは150㎝、幅60㎝。
ちょうど小柄な女性ぐらいの背丈があるようです。花崗岩で作られており、石の頂には水鉢が彫り窪めてあります。花崗岩は丈夫でありながら加工もしやすいのでしょう。ミステリアスな石造物で知られる飛鳥の石造物群にも、花崗岩で作られたものが多く存在します。
安倍文殊院への途上、左手に材木置き場が見られました。
安倍の文殊さんから南に位置する吉野地方は、杉をはじめとする材木産業の盛んな町として知られます。桜井市はその集積場として栄えてきました。
向って右側には、「左あべ、をか寺、よしの、かうや山(高野山)」と刻まれています。
写真左手奥の方には、金閣浮御堂(仲麻呂堂)が見えますね。伊勢神宮への大道標を見ていると、かつての賑わいが目の前に蘇って来るような気がします。