全長242mの巨大前方後円墳。
山の辺の道ハイキングの展望所としても人気です。大和朝廷の創始者・崇神天皇の御陵で、「行燈山(あんどんやま)古墳」とも呼ばれています。
崇神天皇陵の拝所。
結構急な石段を上がって御前に出ます。御陵の拝所はどこもみな同じですね。真正面の扉のバッテン印は二重になっており、より強い結界を感じます。
4世紀前半の築造!後円部に竪穴式石室
崇神天皇陵(行燈山古墳)は全国16位の規模を誇るようです。
周囲の古墳と共に柳本古墳群を形成しており、全国屈指の古墳密集地帯となっています。ヘリコプターで上空から観光できればいいのですが、今のところその術はありません。主体部の埋葬施設は竪穴式石室で、前方後円墳の後円部で確認されたようです。
何の実でしょうか。
天皇陵のため決して華やかではありませんが、何か意味のある植栽なのかもしれません。
拝所へ上がる石段。
一本の松の木が植わっていました。
常緑の松は永久(とこしえ)の繁栄を思わせます。
拝所へ上がって左下を見下ろすと、古墳状の隆起が見られます。
崇神天皇陵の陪塚ですね。
大王墓の周りには、まるで衛星のように小さな墓が散らばります。手前が南アンド古墳(陪塚は号)で、道路を挟んだ向こう側に見えているのが大和天神山古墳です。天神山古墳も崇神天皇陵の陪塚の一つと目されます。
拝所から見て、右下に控えるのがアンド山古墳(陪塚い号)です。
崇神天皇陵の陪塚の中でも最も大きなお墓です。
全長120mの前方後円墳で、崇神天皇陵のほぼ半分の大きさです。南アンド古墳が全長65mですから、崇神天皇陵の4分の1サイズということになりますね。
いろはで割り振られる陪塚の名前ですが、表記に乱れが見られます。一番最初の「い号」だけは一定ですが、ろ号、は号、に号に関してはちょっと複雑です。ところが、陪塚の中でも最も巨大なアンド山古墳だけは、どこを見ても「陪塚い号」と表記されています。
墳丘図と測量、並びにその概略を案内します。
第10代崇神天皇は第9代開花天皇の第二子で、母は皇后伊香色謎命(いかがしこめのみこと)と伝えられています。
御陵は前方部を北西に向けた前方後円墳で、大和古墳群のほぼ中央に位置しております。龍王山西麓の緩斜面に築かれたため、東西で高低差が生じており、そのため周濠が合計3カ所の渡土堤によって区画されています。
墳丘は後円部・前方部共に3段築成と考えられており、埴輪・土器が出土しています。外周には高く積み上げられた堤が廻りますが、これは江戸時代末に柳本藩が行った、修陵事業によるもので古墳築造当時の姿とは異なっているようです。
全長は242mですが、周濠を含めると375mにもなります。
南方の景行天皇陵は崇神天皇陵よりも大きな古墳ですが、周濠はさほど広くありません。三箇所の渡土堤も墳丘図で確認できますね。
国道169号線沿いの道案内。
卑弥呼の里のプレート上に見えているのは三輪山です。ここを東へ600m上がって行くと、双方中円墳の櫛山古墳へ辿り着きます。
景行天皇陵の周辺地図。
崇神天皇陵のすぐ近くにありますが、景行天皇陵にも陪塚があるようです。景行天皇陵は別称を「渋谷向山古墳」と言いますが、渋谷、山田、南別所などの集落も案内されています。南別所の左に見える円墳も崇神天皇陵の陪塚ではないかと言われます。
崇神天皇陵の陪塚い号(アンド山古墳)。
国道169号線から東へ、長岳寺方面に向かうと右手にこんもりとした杜が見えてきます。最初見た時は、崇神天皇陵そのものだと思っていました。あくまでもこれは陪塚で、崇神天皇陵ではありません。被葬者無しの陪塚も多いようです。大王墓の周囲を固め、その副葬品のみを埋葬しているのではと目されます。
国道169号線から西側の地図です。
国道の東側には景行天皇陵、崇神天皇陵といった巨大前方後円墳があります。その反対に、西エリアには比較的小さな古墳が散らばります。上ツ道沿いの柳本大塚古墳や石名塚古墳が案内されていますね。石名塚の南の池は、新池という名前のようです。
第9代開化天皇の第二子として生を享けた崇神天皇。
JR奈良駅から東へ伸びる三条通沿いに、開化天皇陵があったことを思い出します。崇神天皇陵は3段築成の前方後円墳のようですが、さすがに段築までは確認することが出来ませんでした。
崇神天皇陵から南アンド古墳を見下ろします。
今まであまり意識することもありませんでしたが、この位置からだとその形状を把握することができます。向こうに見える天神山古墳は、いつも車を走らせながら確認していました。国道開通に伴い、墳丘を削られた古墳として記憶に残ります。
崇神天皇陵の鉄柵。
左手がアンド山古墳です。
右手には龍王山の山並みが見え、ここが大和国中(やまとくんなか)であることに気付きます。山々に囲まれた奈良盆地は、古来自然の要塞だったのかもしれません。
アンド山古墳もここから見ると、また違った印象を受けますね。
思えば大神神社には天皇社が祀られ、その御祭神は崇神天皇と仰ぎます。
第10代崇神天皇の御代に疫病が流行り、国が大いに乱れます。
大物主命を三輪山に祀ることにより、その猛威を鎮めることに成功しました。実質的にこの国を治めた初めての天皇として、「初国(はつくに)しらす天皇(すめらみこと)」の称号を得ます。
少し離れた南方に見える陪塚。
龍王山古墳群の中の一基ではないかとも言われますが、現時点では崇神天皇陵陪塚として宮内庁の管轄下にあります。
拝所下の松葉。
松に神性を感じるのは、神の降臨を”待つ”からなのでしょう。
南アンド古墳の墳丘に近づきます。
墳丘裾に立札がありますね。
立入禁止の立札です。
「崇神天皇陵飛地は号」と記されていました。
南アンド古墳脇から崇神天皇陵を見上げます。
かなり高所に祀られていることを実感します。
山の辺の道のハイキングコースでは、長岳寺のすぐ南に位置します。天理市トレイルセンターも近くにあり、一帯は山の辺の道の休憩ゾーンとして賑わいます。景色も開けていますので、崇神天皇陵の周囲を廻ってから再び山の辺の道に戻ってもいいでしょう。
崇神天皇陵の国道向かいには、名物の御陵餅もあります。ここは数少ない観光向きの天皇陵だと思います。