太平洋戦争の柳本飛行場跡。
今は田畑の広がる長閑な場所ですが、戦争遺産として残しておきたい防空壕址があります。
長岳寺五智堂から上ツ道に入り、街道沿いの渟名城入姫神社にお参りしてから現地へ向かいました。かつての柳本飛行場跡地に防空壕があるのは以前から知っていましたが、その見学は初体験となります。
天理市岸田町の防空壕址。
現在は二基のトレンチを見学することができます。
見学無料ですが、道案内が付いていません。ルートに迷う方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単に行き方を記しておきます。
JR線路の西側!岸田川南北に残る負の遺産
柳本防空壕の場所ですが、ポイントが二つあります。
この二点さえ押さえておけば、迷うこともないでしょう。近くまで行けば、それらしき隆起が確認できます。
まず第一点は、JR万葉まほろば線の線路から西側にあるということです。東側には割と大きめの池が二つあり、その周辺を探しても見つかりません。必ず踏切を渡り、西側に出て下さい。辺りを探索していれば、大和神社の社叢が北に見えます。柳本防空壕は大和神社の南西方向に当たります。
岸田川に架かる橋。
二点目が岸田川の北岸と南岸、両サイドに一基ずつの防空壕があるということです。
岸田川は細い川で、天理市岸田町を東西に貫流しています。少々違う道に出ようが、この岸田川さえ見つければ大丈夫です。岸田川に沿って西へ進めばいいのです。
岸田川の南にある防空壕。
盛土が残り、ぱっと見は古墳のようです。穴が開いているのも確認出来ますね。
こちらは岸田川の北にある防空壕です。
南側の防空壕に比べ、盛土が削られています。コンクリートが剥き出しになっており、見学の際はこちらの方が分かりやすいでしょう。右向こうに見えているのは三輪山で、大和にお詳しい方なら大体の位置関係も把握できるのではないでしょうか。
JRの岸田第二踏切。
右奥の社叢が大和神社です。
何通りかの行き方があると思いますが、東方向から向かう場合、この踏切を渡るのが最短距離になるでしょう。
踏切東側にある古池。
これは西へ向かう写真で、遥か彼方には二上山を望みます。このまま西へ下り、踏切を渡って柳本飛行場跡を目指します。実はこの辺りで迷い、農作業中の方にお伺いしました。細かい道順はさすがに把握できませんでしたが、とにかく線路の西側であることを確認します。
踏切を越えてしばらく歩いていると、お堂の脇に道標が立っていました。
「岸田中央標」と刻みます。
標石ですね。私はこのポイントを右折しましたが、このまま真っ直ぐ進んでもOKです。問題なく同じエリアに出ます。
標石から直進すると、こんな感じです。
正面に民家、少し右折してまた直進する道が見えています。このまま真っ直ぐ西を目指しても辿り着きます。私は標石を右へ曲がって、岸田川の南岸に出ました。
ここです。
川に沿って西へ進みます。
太い道を横断してさらに西へ行くと、それらしきものが見えてきました。
これです、コレ!
南岸の防空壕址ですね。アドバイス頂いた通り、一目で分かりました。
川を挟んで北側にも防空壕址が見えます。
まずは橋を渡って、北の防空壕を目指します。
ぽっかりと口を開けています。
柳本飛行場は正式名を「大和海軍航空隊大和基地」と称します。
戦時の通信施設!白堤神社を移転させた柳本飛行場
太平洋戦争末期の昭和19年(1944)、本土決戦に備えて”海軍が”柳本飛行場を建設しました。
長さ1,500mの滑走路もあったと言います。その名残を留める直線道路の脇には、今もコンクリートの舗装面が残っているそうです。防空壕は通信施設などにも使われていたようで、当時の面影を残します。
柳本飛行場建設に伴い、場所の移転を余儀なくされた神社があります。
白鳥伝説の白堤神社ですね。
防空壕址の北方に鎮座しており、時代を超えた様々なシーンで歴史を彩ります。
農作業の道具でしょうか。
足の踏み場も無いほど、入口が塞がれています。
中を覗くと、穴の先は左へ曲がっていました。
見学は無料ですが、中へは入らない方がいいでしょう。
トレンチの周囲をぐるっと一周します。
南方の防空壕も周囲を一周出来ましたが、こちらの方が広々していて見学向きです。
周囲に4ヵ所の入口を確認します。
天理市の西、田原本町の唐古鍵遺跡史跡公園へ足を延ばせば、今も柳本飛行場を守ったという高角砲台跡があります。生々しい戦争の痕跡に触れ、平和の重みを感じずにはいられません。
ここは右へ折れていますね。
跡地周辺には数多くのトンネルが掘られたと言います。非常時には、この辺りを大本営として利用する予定もあったようです。かなり計画は進んでいたようで、天皇をお連れするプランもあったと聞きます。
昨今は廃墟見学も人気があります。
高度成長期の日本を支えた工場跡地や、負の遺産と呼ばれる刑務所や古戦場の跡地。どれも今日の日本を形作ってきた過去の遺産です。戦争遺産などはその最たるものでしょう。
ちょっと分かりづらいですが、防空壕手前に煙突状の空気孔が見えています。
中央からやや左の盛土手前です。
あの孔から内部へ新鮮な空気が送り込まれていたのでしょう。
かつてここに飛行場があった。
俄かには信じがたいことですが、戦争を知らない私たちの世代には重い現実です。
南西方向に三輪山を望みます。
三輪山と防空壕。ここでしか撮影出来ないツーショットですね。
再び橋を渡って、南側の防空壕へ向かいます。
電柱に「キシダ」の札が掛かります。
こちらは打って変わって緑に覆われていますね。
こちらの防空壕も近づくことが出来ます。
規模的には北の防空壕とほぼ同じです。
かろうじて周囲を巡ることができます。
上級士官用の防空壕だったとか、かつてここに通信施設があったなど様々な証言があります。内部には”電信室”という文字も残されているようです。本土決戦を前に、臨戦態勢が敷かれていたことを思います。
草が繁茂し、入口が見えづらいですね。
古墳と同じで、冬に来れば比較的見やすいのかもしれません。
この入口はなんとか分かります。
戦時における指揮中枢のシェルター、ひいては天皇の御在所などが最も配慮すべきポイントだったと思います。もちろん、それらは秘密裏に進められた計画だったのでしょう。一つの候補地としてこのエリアが挙がっていたのかもしれません。
戦争に勝者は存在しません。
今も世界各地で争い事は続いていますが、誰の目にも明らかです。何より歴史が証明しています。
防空壕から南西の方向に”高まり”が見えますね。
あれは何でしょうか? またいつか、調べてみたいと思います。
人の営みに寄り添う防空壕。
あまりに日常風景に溶け込み、違和感がありません。それでも確実に、ここに存在するだけで伝わるものがあるはずです。
岸田町のイチゴ看板。
防空壕の見学を終え、東の帰路に就きます。
ここは天理市岸田町、柳本飛行場の跡地としてインプットされました。お寺や神社ばかりではありませんね。柳本防空壕址は、奈良県の立派な観光資産だと思います。