十輪院の境内に魚養塚(うおかいづか)という小さな墳墓があります。
国道169号線を北へ走って行くと、奈良ホテルの手前100mほどの場所に十輪院の案内板が見えてきます。
細い道へ入って行くため、直接十輪院を訪れる人の数はそう多くないかもしれません。門の前に駐車場もありますが、奈良町界隈を散策しながら徒歩で参詣してみることに致しました。
十輪院の魚養塚。
弘法大師空海に書を教えたとされる人物のお墓です。
遣唐使吉備真備の子にして書の達人
”弘法も筆の誤り”と伝わる書の達人・空海。
そんな空海の師を弔う場所です。
師の名前を朝野宿彌魚養(あさのすくねなかい)と言います。なぜ魚養(なかい)という名前なのか?その理由は、魚に育てられたから「魚養」という命名になっているようです。
魚養塚の道案内。
魚に育てられたとは、随分突飛な話ではありますが、奈良の昔話として現在まで言い伝えられています。話の内容はこうです。
遣唐使の吉備真備が唐の国に滞在中、中国人女性との間に子供をもうけます。
吉備真備は遣唐使であったわけで、いずれ帰国しなければなりません。帰国の際、戻って来るからと妻に言い残して唐の国を去った吉備真備。その後、待てども暮らせども返って来ない夫に対して、妻の女性は子供の首に「遣唐使の子」と書いたお札を掛けて海へ流します。何とも大胆な行動です。
十輪院の国宝に指定されている本堂。
大海原に流された子供は、その後、大魚に救われて無事に難波の浦に到着。
めでたく父に対面を果たすことになります。大魚に救われたことにちなみ、魚養という名前が付けられていたわけです。吉備真備といえば、囲碁を日本に持ち帰ったことでも知られます。囲碁の普及にでも忙しく立ち回っていたのでしょうか?いずれにせよ、大魚のお陰で子供と会うことができた吉備真備。
スタイリッシュな雰囲気を醸す十輪院の蛙股。
十輪院の山号は「雨宝山」です。
随分スマートな蛙股ですね、見た目の印象が垢抜けています。十輪院ならではと言ったらいいでしょうか、他の建造物ではあまり見られない形の蛙股です。
無事に大魚に救われた朝野魚養の人生は、その後、益々好転していきます。
医術や書道にも優れた高僧となり、十輪院を建立するまでに至ります。そうなんです、十輪院の開基は魚養塚に眠る「朝野宿彌魚養」その人です。空海の書の師というだけで、その偉大さが伺い知れます。
遷都祭の年にお目見えした「なーむくん」ですね。
仏前結婚式もなさっているようです。
ひがしむき商店街の猿沢池寄りに、十輪院さんによる仏教相談の案内看板を見かけたことがあります。
庶民に近いお寺という印象があります。まだ本堂の中は一度も入ったことがないのですが、次回訪れるときは重要文化財の石仏龕も拝観してみたいと思います。