御杖村に空海開基のお寺がありました。
曹洞宗の安能寺(あんのうじ)。女人高野・室生寺の別院とも伝わります。エドヒガンザクラの名所にもなっているようで、鐘楼門の美しいお寺でした。
安能寺の山門。
茅葺屋根でしょうか、花頭窓の付く部分が鐘楼を兼ねています。鐘楼門の右手前には、「禁葷酒(きんくんしゅ)」の石標が建ちます。
奈良県指定文化財の鐘楼門!伊勢本街道の灯篭に往時を偲ぶ菅野集落
安能寺の住所は宇陀郡御杖村菅野です。
菅野集落の民家には、「伊勢本街道」と記す燈籠が数多く見られます。かつてこのエリアは、お伊勢詣りの参拝者で賑わったようです。安能寺の先には、元伊勢伝承の四社神社が鎮座しています。
安能寺の鐘楼門とエドヒガンザクラ。
山門向かって左手に、美しい花を咲かせるエドヒガンザクラがあります。訪れたのは初夏で、青々とした葉を付けていました。
境内に入ると、宝篋印塔と六地蔵が出迎えてくれます。
こちらが本堂でしょう。
屋根の上に突起物が見えますね。雪が滑り落ちるのを防ぐためのものでしょう。山深い地では、度々見かける光景です。落雪防止の雪止めは、御杖村でも散見されました。
集落と峠を繰り返す国道369号。
桜峠と牛峠の間の菅野集落に安能寺は佇みます。集落入口の駒繋橋の袂に立つ道標ですが、とても分かりやすかったです。
曽爾村の山粕から鞍取峠を越え、桃俣(もものまた)~土屋原(つちやはら)~桜峠~菅野(すがの)~牛峠~神末(こうずえ)~佐田峠~敷津(しきづ)と続きます。敷津には道の駅があり、弘法大師や倭姫にまつわるミステリースポットを見学することができます。今回私は、倭姫が婦人病の快方を祈ったという姫石明神(ひめしみょうじん)にお参りしました。
菅野集落の中の灯篭。
もしや「行燈」?主に室内用が“行燈”ですから、やはり灯篭でいいのでしょう。
ここは伊勢本街道。
倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る四社神社と記します。倭姫は“御杖代”として、アマテラスの奉祀場所を探し求めました。垂仁天皇の皇女とも伝わる人物です。
御杖村役場から駒繋橋を渡り、集落へと入ります。
太陽光パネルの向こうに赤いお社が見えますが、安能寺はその右向こうに当たります。
奈良県指定文化財の安能寺山門。
安能寺の寺号標。
山号は「宝涌山」と刻みます。
安能寺の駐車場。
山門右手に広めの駐車場がありました。
落ち着いた佇まいの鐘楼門です。
弘仁年間の西暦820年頃に創建されたようです。
女人高野最初の候補地として、弘法大師空海が建立しました。
禁葷酒(きんくんしゅ)の石標。
葷(くん)とは、刺激の強い野菜類のことですね。ニンニクやネギなど、精は付くが煩悩の元になるものを禁じます。まぁこれも、お寺の戒律の一つなのでしょう。
立春大吉の棟札。
「安能寺」のカクカクとした書体が出迎えてくれました。
手水舎横の紫陽花。
「よひら」の名のごとく、四枚の花弁を開かせます。
境内から見る鐘楼門。
中格子に隠れて見えませんが、今でもお寺の鐘は撞かれているのでしょうか。
本殿と向き合う六地蔵。
六道輪廻に由来する6体のお地蔵様。手前の石仏が手にするのは錫杖ですね。
包み込むように丸まる向背と、雪止めを載せる本堂。
御本尊は釈迦牟尼仏のようです。
雪止めと思しき突起物。
もう一つのお堂が建ちます。
蓮葉の先に紋が見えます。
五七桐でしょうか。日本人なら誰もが知る由緒正しい御紋です。
こちらは寺紋?
何という名前の紋なんでしょうね。
開花するエドヒガンザクラ。
御杖村の観光ガイドブックから拝借しました。決して大きなお寺ではありませんが、室生寺の別院という称号は惹かれますね。御杖村に足を運んだら、是非一度お参り下さい。