囲碁発祥の地が京都にあります。
本因坊算砂(さんさ)ゆかりの囲碁発祥地を訪れてみました。
場所は地下鉄東西線の市役所前駅から 北へ500mほど行った所。
そこに、石の碁磐が置かれていました。
奈良時代に吉備真備が伝えた囲碁!寂光寺の塔頭「本因坊」
碁の名手・本因坊算砂は、江戸幕府の碁所(ごどころ)を任されていました。
碁所とは、御城碁の管理や全国の囲碁棋士の総轄など、囲碁を統括する役職のことです。
御池通と丸太町通の間~夷川通が寺町通にぶつかる歩道上。
『囲碁「本因坊」発祥の地』と書かれた立て札がありました。囲碁は奈良時代に、遣唐使に加わった吉備真備が日本に伝えたとされます。当時は貴族の遊びとして広まったようで、 清少納言や紫式部も囲碁を打っていたと言われます。
京都市役所。
清少納言や紫式部も囲碁の対局を楽しんでいたとは意外な事実ですね。
石の腰掛に挟まれるように碁磐が置かれています。
腰掛に座って、実際にこの場所で対局することも出来そうです(笑)
寂光寺の塔頭「本因坊」に住んでいた僧侶の日海(にっかい)は、 信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高い人物でした。
江戸幕府が開かれると、 徳川家康の命によって寺を弟子に譲り、本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の碁所(ごどころ)を任されました。その昔、碁の名手は時の権力者からも重用されたのですね。
本因坊算砂の名前が見えます。
戦国時代には、碁は戦のシミュレーションとして武将達に好まれました。
情勢の先を読む力が養われるのでしょう。戦争のシミュレーションという観点から言えば、今の野球にも同じような空気を感じます。巨人軍の”軍”、盗塁の”塁”、一死の”死”などにも戦(いくさ)ゲームの名残が感じられます。
チェスやオセロとは趣を異にする日本の遊び「囲碁」。
日本の歴史が凝縮された京都に、その発祥地が残されています。