東大寺に七重塔が建っていた。
その高さは100mとも、70mとも言われます。巨大な七重塔が大仏殿の両側に聳える光景はまさに圧巻だったでしょう。裳階も付いていたであろう七重塔を思います。
東大寺七重塔相輪とアショカ・ピラー。
相輪(そうりん)とは、仏塔の最上部に取り付けられる金具のことですが、東大寺七重塔の相輪は23.3mの高さを誇ります。これだけ巨大なものが塔のてっぺんに載っていたのです!七重塔の大きさがおぼろげに想像できますね。
花まつり千僧法要の記念宝塔&万博遺産の相輪
黄金に輝く相輪の左側に見えるのは、アショカ・ピラーと呼ばれる記念宝塔です。
アショカ・ピラーは、昭和63年(1988)の4月に行われた「花まつり千僧法要」の記念宝塔として作られています。これはインド仏教四大聖地の一つ・サルナートにあるアショカ・ピラー柱頭を模したものとされます。ちなみにサルナートは釈迦が初めて説法をした場所です。転法輪の最初の地というわけですね。
アショカ・ピラーは、インドにおける仏陀ゆかりの地にアショカ王が建造した石柱です。デリーにあるアショカ・ピラーなどは「錆びない鉄柱」としてその名を知られます。”デリーの鉄柱” とも呼ばれ、1,500年もの長きに亘ってほとんど錆びていないのです。不思議ですよね。
池の向こうに見えているのは、東大寺中門と大仏殿です。
アショカ・ピラーと相輪が案内されています。
東大寺大仏殿の南東一角にひっそりと佇んでいました。すぐ近くには手向山八幡宮の鳥居が建ち、背後に人の流れを感じます。ほとんどの人は素通りするのみで、この相輪とアショカ・ピラーに立ち寄る人はいません。
奈良時代に建立された七重塔ですが、1180年の平重衡による南都焼討で焼失してしまいます。鎌倉時代に一度再建されましたが、1362年に落雷により再び焼け落ちました。
七重塔の東塔跡発掘調査は記憶に新しいところですね。
塔の土台に当たる基壇の規模が確認され、1階部分の柱の間隔や塔に入る石段の位置が判明しました。今の時代に蘇るなら、間違いなく観光の目玉になることでしょう。
明治天皇奈良行在所の石碑。
南大門を抜けると、すぐ右手に建っています。ここは東大寺東南院のあった場所で、今夏には本坊大広間に於いて様々な催し物がありました。
石碑から南大門方向へ振り返ります。
南大門周辺はまるで外国に来たかのようです(笑)
特に中国人の団体観光客が多いでしょうか。大型観光バスでこぞって詰め掛けているようです。
東大寺鎮守の手向山八幡宮。
堂々とした八幡鳥居です。
東大寺七重塔相輪のすぐ近くにそびえています。
1970年開催の大阪万博にも出展していたという相輪。そういえば、天理市役所のモアイ像も万博遺産です。これだけアイキャッチに適ったオブジェはまたとないシロモノですよね。捨てるに忍びない宝物です。
決して目立つ場所ではありませんが、東大寺大仏殿のすぐ近くで見学可能です。