明日香村の牽牛子塚古墳を見学して参りました。
数年前にも足を運んだことのある古墳ですが、久しぶりに現在の状況を確認・・ちょうど土壌調査の真っ最中でした。牽牛子塚古墳は明日香村西部の真弓丘陵に位置しています。周囲には岩屋山古墳、真弓鑵子塚古墳、マルコ山古墳などがあり、古墳の密集地帯となっています。
「史蹟牽牛子塚古墳」の石標。
明日香村教育委員会による平成21年度(2009)からの再調査の結果、様々なことが判明しています。三段築成の八角形墳であり、斉明天皇陵の最有力候補に躍り出たのもちょうどこの頃からだったと思います。
間仕切り壁の横口式石槨
牽牛子塚古墳といえば、中央に厚さ50cmの間仕切り壁を施した横口式石槨が有名です。
同じ規模の石槨が東西に二つ並び、それぞれ床面には高さ10cmほどの棺台が造り出されています。あらかじめ合葬を見越して造られた石槨とされ、その被葬者は斉明天皇とその娘に当たる間人皇女と言われます。
横口式石槨の間仕切り壁。
開口する石槨正面には鉄柵がありますが、その隙間から中を覗き込むことができます。ちょうど真ん中に間仕切りがあり、二つの空間が生まれています。横口式石槨の天井ですが、少し丸みを帯びているようですね。
これまでの発掘調査により、石室内からは夾紵(きょうちょ)棺の破片をはじめ、金銅八花形座金具、金銅六花形座金具、金銅円形座金具などの棺関連金具、ガラス玉等々が出土しています。夾紵棺とは粗い布地を重ね、漆で塗り固めて造った棺のことを言います。牽牛子塚古墳のそれは麻布35枚を重ね、外側に黒漆、内側には朱漆が塗られていたそうです。
墳丘の上にはシートが被せられていました。
いつも工事中のイメージがある牽牛子塚古墳ですが、この日も作業員の方が忙しそうに働いていらっしゃいました。
一段低くなった石槨前から見上げます。
牽牛子塚古墳の横口式石槨には閉塞石があったようで、今も明日香村埋蔵文化財展示室に行けば無料で見学することができます。歴史の謎に蓋をしてきた閉塞石です。考古学ファンならずとも、是非一度は見ておかれることをおすすめ致します。
横口式石槨の入口に ”扉石” として凝灰岩の切石を施し、さらにその外側を寺山石英安山岩の巨石で閉塞するという格好です。
越の集落を経由して牽牛子塚古墳へアクセス
牽牛子塚古墳の行き方ですが、近鉄飛鳥駅から越の集落を経由するルートをおすすめ致します。
道標マニアからも注目を集める越の道標を通る道ですね。
真弓丘陵を越える車道脇からアクセスすることもできるようですが、集落を抜けるルートの方が分かりやすいでしょう。
近鉄飛鳥駅から線路沿いに北へ向かい、踏切を越えて西へ歩を進めます。程なく右手に岩屋山古墳が見えて参ります。さらに進んで緩やかな坂道を登って行くと、峠付近に許世都比古命(こせつひこのみこと)神社が鎮まります。そこからさらに西へと、坂道を下って行きます。
牽牛子塚古墳を案内する道標が立っていました。
この地点から右へ450mと出ていますね。古い方の案内板には400mと書かれていますが、正確に測り直されたものなのかもしれません。
さらに右方向へ進んで行くと、また新たな道案内がありました。
この地点からの距離は300m、あともう少しですね。
行く先に見えている建物は、特別養護老人ホームです。
小高い場所にある牽牛子塚古墳の墳丘上からも、この特別養護老人ホームを見下ろすことができます。ひとつの目印になりますので覚えておきましょう。
特別養護老人ホーム。
この建物を右手に見ながら、道なりに進んで行きます。
遥か前方、右手に見えている丘陵が牽牛子塚古墳です。
ここからも地道が伸びているのが見えますが、その行き着く先が牽牛子塚古墳です。カメラをズームインしてみます。
あっ、ありました!
墳丘上にシートが被せられ、その前に石標が建っているのが確認できます。
版築によって築かれた天皇を象徴する八角形墳
八角形墳と推定される牽牛子塚古墳。
高さ約4.5mの墳丘裾部は、上から見ると八角形に削られているようです。天皇陵にのみ許されたとされる八角形の墳形ですが、桜井市の舒明天皇陵なども八角形墳として知られます。舒明天皇の皇后に当たる人物が斉明天皇ですから、その関連の深さがうかがえますね。そういえば、斉明天皇の子に当たる天武天皇のお墓も、同じく八角形墳の天武持統天皇陵として知られています。
越塚御門古墳と牽牛子塚古墳の案内写真。
墳丘の裾に案内板がありました。
「史蹟指定地 境界」と記されていますね。
墳丘上へと続く道が付けられていました。
横口式石槨の写真。
それぞれの空間に、整然とした棺台が造り出されています。
一個の巨大な凝灰岩を刳り抜いた、横口式石槨の写真に息を呑みます。
発掘当初の様子が手に取るように分かりますね。
墳丘の北側から東側にかけて、比較的遺存状態が良かったそうです。
切石が石畳のように三列に並べられています。
ちょうど八角形になるように、途中で約135度の角度で折れ曲がっているのが分かります。発掘調査に立ち会ったわけではありませんが、リアルな発掘写真を見ればゾクゾクするものを感じます。
末広がりをイメージさせる8は縁起物だったのでしょう。8という数字は今の時代にも通じるゲン担ぎなわけですから、一貫した普遍性を感じさせますね。
作業員の方が何やら携帯電話でお話中です。
どうやら本部事務所との確認作業のようでした。
おっ、あそこですね。
作業員の方に確認を取って、横口式石槨の前へと進み出ます。
さすがに中には入れませんが、簡単に中を確認することができます。
奥行きもそんなにありませんので、石槨の奥まで十分に光が届いています。
上部には亀裂が入っていますね。
相次ぐ土木工事を敢行し、「石の女帝」とも言われた斉明天皇。
かの『日本書紀』には、彼女が「明日香に石を運ぶ運河を築くのに3万人を動員して庶民を苦しめたため、人々はその運河を『狂心渠たぶれごころのみぞ』とそしった」と伝えています。この横口式石槨は、石の女帝にふさわしい埋葬施設なのかもしれませんね。
棺台がリアルに残っています。
出土した夾紵棺の破片や七宝金具は大変貴重なもので、重要文化財にも指定されているようです。
下界を見下ろす丘陵上に解説板がありました。
高市郡明日香村越にある7世紀後半頃の古墳・・・小高い場所に築かれていることがよく分かります。天皇陵ともなれば、その立地も考慮されたのでしょう。舒明天皇陵(段ノ塚古墳)や天武持統天皇陵なども小高い場所に築かれています。下界を見下ろす八角形墳は、周囲の人々に畏怖の念を抱かせ続けたものと思われます。
様々な工事用道具が散乱しています。
周囲の土壌を調査中とのことでしたが、様々な角度から解明が進められているのでしょうね。
牽牛子とは朝顔の別称とされます。
かつては「あさがおづか」「御前塚」と呼ばれていたこともあるようです。
こんな間近に横口式石槨を見学することができます。
埋め戻される古墳が多い中、これは貴重な体験です。
横口式石槨の反対側に回り込みます。
墳丘上もある程度は自由に歩くことができました。
牽牛子塚古墳を象徴する間仕切り壁。
大方の予想ではありますが、やはり追葬を見越した石槨だったのでしょうか。
斉明天皇陵の可能性を示唆する越塚御門古墳
牽牛子塚古墳のすぐ近くで発見された越塚御門古墳。
越塚御門古墳の発見が、牽牛子塚古墳の被葬者特定に大きく寄与していることは言うまでもありません。残念ながら今はもう、越塚御門古墳の痕跡を見ることはできませんが、案内板でその出土状況を確認することができます。
越塚御門古墳。
『日本書紀』によれば、天智天皇6年2月27日に「斉明天皇と間人皇女とを小市岡上陵(おちのおかのうえのみささぎ)に合葬した」と明記されています。さらに、その同じ日に皇孫の大田皇女を陵の前の墓に葬ったと伝えています。その記述に従えば、牽牛子塚古墳の間近に新たな墓の存在が認められなければならなかったのですが、牽牛子塚古墳の現地見学会からわずか三か月後に、なんとその墓が見つかったのです!
牽牛子塚古墳の南東20mの地点で発見された横口式石槨。
位の高い人物が埋葬されていたと思われる ”漆塗り木棺” が納められていたそうです。
牽牛子塚古墳と越塚御門古墳は、今後もセットで語られる古墳となることでしょう。
明日香村埋蔵文化財展示室にも、二つの古墳模型が並んでいたことを思い出します。
日本書紀の記述を裏付ける古墳の発見!当時のマスコミ各社がセンセーショナルに取り上げたのも頷けますね。
牽牛子塚古墳の横口式石槨へ下りる石段。
この狭い石段を下りて、間仕切りのある石槨を見学することになります。
しっかりと木にロープが括り付けられています。
牽牛子塚古墳のこんもりと盛り上がった墳丘の姿をまだ見たことがありません。ベールを脱ぐ日は来るのでしょうか。あるいは、たまたまその姿を見たことがないだけなのかもしれません。
謎に包まれた牽牛子塚古墳。
未だ斉明天皇陵と確定したわけではありません。
宮内庁は現在、車木ケンノウ古墳を斉明陵として管理しています。高取町大字車木にある陵で、牽牛子塚古墳とも距離的にそんなに離れてはいません。宮内庁管理の陵との食い違いは、卑弥呼の墓と噂される箸墓古墳とて同じことですよね。謎が謎を呼びますが、引き続き今後も調査が進められていくことでしょう。
牽牛子塚古墳からの帰り道。
左手奥に見えている建物が、アクセス途中にあった特別養護老人ホームです。
下界を見下ろしていると、このすぐ下手まで一台のタクシーが上がって来るのが見えました。牽牛子塚古墳目当ての観光客を乗せていましたが、さすがに地元のタクシー運転手ですね。辺鄙な場所にも関わらず、牽牛子塚古墳のすぐ手前まで車を付けることができるとは・・・車の対向は難しそうでしたので、一般ドライバーは真似しない方が良さそうです。
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