復元整備中の牽牛子塚古墳を見学してきました。
斉明天皇陵と目される八角墳です。八角形の墳墓は天皇陵にのみ許され、その偉容は見る者を圧倒します。場所的にも高台にあり、遠くからでもよく見えます。建造当初から意図された立地であることをうかがわせます。
牽牛子塚古墳の復元整備。
以前までの空気が一掃され、かなり綺麗に生まれ変わっていました。これを良しとするか否かは意見の分かれるところなのかもしれません。より原始的で、古代のままの雰囲気を残しておいてほしい歴史ファンも少なからずいます。万人受けする整備事業だと思いますが、やはりそこには様々な思いが交錯しますね。
遠景も映える八角墳!物怖じしない系女史
斉明天皇は土木工事を好んだことで知られます。
きっと無理強いな部分もあったのでしょう。石材を運ぶために水路をどんどん掘らせたことから、その水路は「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」と呼ばれました。斉明天皇の運河建設は反感を伴うものだったのですね。思い立ったら即実行する、そんなタイプの女性だったのかもしれません。
整備工事の案内が出ていました。
期日は令和4年2月25日までと出ています。まだあと半年余りの工事です。
牽牛子塚古墳の遠景。
少し離れた道沿いからも八角墳が望めます。明日香村の「金かめ乗合交通」のバス道から撮影しました。後ろの緑によく映える真っ白なフォルムですね。
右下に見えるのは越塚御門古墳でしょうか。
この位置からでも、牽牛子塚古墳の墳丘が三段であることが確認できます。三段築成の八角墳が見事に蘇っています。埋葬施設は今後どのように展示されるのでしょうか。以前までは、間仕切り付きの横口式石槨を間近に見学することが出来ました。
何やら入口へ向かって階段が付いていますね。
何某かの展示スペースが設けられるのでしょうか。
裾野を広げる牽牛子塚古墳。
丘陵全体が古墳といった趣です。せり上がって行く地形をうまく利用していますね。
「史蹟指定地 境界」の石標。
復元整備前には、墳丘へ上がって行く途中に建っていた標です。
内務省の石標のようです。
工事終了後に、元の場所に戻されるのでしょうか。あるいは、このままお役御免なのかもしれません。
古墳の手前には田畑が広がります。
農作業に勤しみながら古墳を見上げる。この場所ならではの、長閑な光景が目に浮かびます。
八角墳の下には階段が付けられています。
工事期間中は立入禁止ですので、階段を使用することはできません。
そう言えば、石舞台古墳なども少し高い所に築かれています。
同じ八角墳の舒明天皇陵なども、地形に沿った高所古墳です。舒明天皇は斉明天皇の夫に当たる人物ですよね。古代史に登場する重要人物は、お互いに近しい間柄であることが多いものです。血縁関係が複雑に絡み合います。
近鉄飛鳥駅前。
左が持統天皇、右が斉明天皇のようです。斉明天皇のキャッチコピーは「物怖じしない系女史」と書かれていますね。一方の持統天皇は「先読み鋭い系女史」です。
ニヤリといった感じでこちらを向く二人の女傑・・・飛鳥の地を代表する女帝です。
「石の女帝」とも称された斉明天皇。
天智天皇や天武天皇の母であり、日本の幕開けに登場した”肝っ玉かあさん”といったところでしょうか。
青空にもよく映えます。
今後は周囲にアサガオが植えられる予定のようです。朝顔を手前に牽牛子塚古墳を見上げ、その延長線上に青空が広がる。見事な構図ですね。SNS時代に見合ったプロジェクトではないでしょうか。これはもう、インスタ映え間違いなしです。
昔を懐かしむ人も一定数居続けることでしょう。
整備計画はいつも悲喜こもごもです。
様々な想いを乗せながら、牽牛子塚古墳は未来へと進んで行きます。