大念仏寺の門前に佇む馬場口地蔵。
右手に錫杖、左手に宝珠を持つスタイルで、お地蔵様の基本形を思わせます。青い布を頭から被り、静かに参拝客を出迎えていました。
馬場口地蔵。
かつての環濠都市・平野郷の馬場口に祀られます。
JR大和路線の平野駅を下車して、一路大念仏寺を目指します。国道25号線をまたいだ左手に、小ぢんまりしたお堂が建っていました。衣文の表現も細やかですね。
大念仏寺の参詣口に建つ地蔵石仏
この日は融通念仏宗の総本山にお参りするのが目的でした。
大念仏寺参詣の後、ぶらりと平野郷界隈へ足を延ばします。町のあちこちにお地蔵さんが祀られていて、昔の名残を感じさせます。いいですね、こういう雰囲気。
馬場口地蔵を祀る地蔵堂。
町の要所要所に置かれたお地蔵様。
”町の守り”として祀られていますが、そもそもお地蔵さんは峠に居ることも多いものです。かつては流行病の伝染を恐れ、地蔵石仏が峠に立ち続けたと言います。そういえば、桜井市高家の六地蔵も峠に立っています。
邪悪なものの侵入をここで食い止めていたのでしょう。大念仏寺にとっては無くてはならない地蔵様なのかもしれません。
平野郷十三口~平野環濠都市遺跡 馬場口地蔵
この地蔵堂は馬場口(ばばぐち)門の傍らにあったもので、大門の木戸口は泥堂口(でいどうぐち)とともに奈良街道の大阪、天王寺方面に接続していて、大阪方面から大念仏寺への参詣口でもあった。
戦国時代の平野郷は、町の安全を図って市街のまわりを濠と土塁で囲み、その濠の間に各方面に通じる十三の木戸口がおかれ門や地蔵堂があった。
馬場口地蔵から南東方向へ行くと、新羅の女神を祀る赤留比売命神社というお社があります。
その社殿の後方に、かつての土塁の跡のようなものが残っていました。杭全神社の境内にも、わずかにその痕跡が見られます。平野の町は、防衛網を築いた環濠都市だったんですね。
地蔵堂の中を覗きます。
建物の中にも、さらに小さな祠がありました。
立派な彫刻を施した懸魚が、屋根の妻に飾られています。両脇には棚のようなものも見られますね。
馬場口以外にも、数多くの”口”が案内されていました。
「京の七口」なんて言ったりしますが、平野郷の場合は十三口のようです。
馬場口地蔵の石標。
進行方向右手に築地塀が見えていますが、あそこが大念仏寺です。
馬場口地蔵に手を合わせて、大念仏寺へと向かいました。