毎年恒例の大神神社節分祭。
午前11時催行の豆まきに合わせて、三輪駅前通りの家を出ます。
参道を足早に行き交う人と歩調を合わせながら、一路拝殿前を目指します。
拝殿前の斎庭(さいてい)に出ると、既に多くの参拝客が到着していました。吉兆福笹に三輪明神、開運厄除の文字がぶら下がります。
祈祷殿前の記念撮影の後、豆まきに参加された桑田真澄さんの周りに人だかりができていました。これは滅多にない機会と思い立ち、誠に失礼ではありましたが(笑) 数々の伝説に彩られてきた桑田真澄さんの右腕に触れさせて頂きました。数回擦らせて頂き、これ以上にはないご利益に授かることが出来ました。
福は山!の掛け声で撒かれる福寿豆と福餅
三輪山を御神体とする大神神社らしく、豆まきの掛け声も他とは一線を画しています。
三輪山の福の神にあやかって、「福は山!」と叫びながら豆まきが行われます。撒かれる福餅には特賞や一等賞と書かれており、大国様のお面などが当たる福引となっています。
手水舎の横に看板が立っていました。
大神神社の節分厄除大祭。豆まきは11時30分頃からと案内されています。
拝殿前にはガードマンの方もスタンバイされていました。
豆まきの前に、節分の歴史を振り返ってます。
そもそも季節の変わり目である節分には、邪気をばらまく鬼が生じると考えられていました。鬼が生じるとなれば鬼退治が必要なわけですが、豆をまくことが「魔滅(まめ)」につながることから、悪霊を祓う習慣として定着していったようです。
お守り授与所で販売される吉兆福笹。
豆まきの習慣は室町時代以降に成立したと伝えられます。豆まきの元になったのが、平安時代に宮中で行われていた追儺(ついな)です。大晦日に宮中で行われる鬼祓いが、現在の豆まきの由来とされます。
節分の日になると、普段とは違う格好で神社仏閣に参拝する人が多くいたようです。そうすることによって魔に捕まることなく、無事に過ごせると考えられていました。江戸時代末期には、節分の夜に仮装を行う「お化け」という風習がありました。現代の日本社会で盛り上がりを見せているハロウィンにもどこか似ているのかもしれませんね。
女優の岩下志麻さんと、元読売巨人軍のエース桑田真澄さんが記念写真に収まります。
2年前にも大神神社の豆まきに参加させてもらったのですが、その時は豆まきの後に記念撮影があることを知りませんでした。そのため、豆まきが終わるや否やそそくさと家路に着いていたのですが、今年は記念撮影にも立ち会わせて頂きました。以前は拝殿下の石段で撮影が行われていたようなのですが、今回は祈祷殿前でした。
豆まき前の緊張感が拝殿前を包み込みます。
巫女さんたちも忙しそうにしておられました。
縁起物の吉兆福笹は、2月1日から6日までの間に授与されています。
豆まきにお越し頂けなかった方も、6日までならまだ間に合います。
豆まきへの緊張が高まる中、巫女さんの鈴の音が境内に響き渡ります。
雅(みやび)な音を聴きながら、拝殿前が徐々に清められていくのを感じます。
さすがにこの日は寒かったです。
暦の上では大寒から2週間が経過していますが、まだまだ底冷えのする奈良盆地です。まだかまだかと豆まきの開始を待ち続けます(笑) 実際に豆まきが始まったのは、予定時刻を少し過ぎてからでした。
さぁ、いよいよスタートです。
神主さんの向かって左側に岩下志麻さん、右側に桑田真澄さんの姿が見られます。
豆まき前の祭事において、参列者の名前が読み上げられるのですが、その時に「篠田の志麻」「桑田の真澄」というビッグネームを耳にしていました。岩下志麻さんの旦那様は映画監督の篠田正浩氏です。どうやらご本名は篠田志麻さんなんですね。
桑田さんも少し寒いのでしょうか。
右手の拳を握りしめておられます。
桑田真澄さんの豆まき。
マウンド上の力投するイメージとは違い、終始和やかに福を撒いておられました。やはり欲を言えば、桑田さんの投じた福餅を手にしたかったですね(笑) また来年以降の夢として取っておこうと思います。
豆まきの後、祈祷殿前で記念撮影が行われました。
真正面からではなく、少し角度を付けての撮影のようです。
最初に女性陣のみでの記念撮影が行われました。
岩下志麻さんはじめ、裃姿の年女の方々が整列なさっています。神主さんはもちろん男性ですが、例外であることをお断りしておきます(笑)
年女の撮影に続いて、年男の撮影へと移ります。
桑田真澄さんの入場です。神主さんの前を横切るシーンですが、ちょこっと挨拶をされているのでしょうか、神主さんのお顔に笑みがこぼれます。
大切な記念撮影です。
スタッフの方が入り、様々な角度から微調整が行われます。
甲子園を沸かせたPL学園高校のエース。
プロの世界に入ってからも、ジャイアンツのエースナンバー18番を背負い、その責務を全うした稀代の投手です。私たちの世代から見れば、やはり憧れの存在です。南阪奈道路が開通してから、大神神社とPLの間の距離も縮まったように思えます。
桑田さんの野球人生は平坦なものではありませんでした。
怪我を克服して見事に復活を果たした雄姿は忘れません。そこにドラマを感じるからこそ、いつまでも輝きを放ち続けているのかもしれません。桑田真澄さんの右腕は、この節分祭以降も私の中では永遠です(^^♪