山の辺の道のルート上に内山永久寺跡はあります。
石上神宮から南へ約10分ほど歩いた所です。何もない所・・・そう言われても仕方のない名所ではありますが、往時を偲びながら散策してみるのもおすすめです。
内山永久寺跡の周辺地図。
天理観光農園や布留の高橋も見えますね。
往時を偲ぶ松尾芭蕉の句碑
山の辺の道ハイキングで辿り着く内山永久寺跡。
かの後醍醐天皇も、一時期その身を隠した場所と伝わります。
内山永久寺跡には、松尾芭蕉の句碑も建てられていました。
まだ20代の若き松尾芭蕉がこの地を訪れています。
うち山や とざましらずの 花ざかり
この地に住む人たちは、ここ内山に咲き誇る桜の花を知っているだろうけれど、外から来た私には初めてのことだ・・・そんな意味合いの俳句でしょうか。
お寺の勢いさながらに、桜の花の咲きっぷりも見事だったようですね。
松尾芭蕉や山の辺の道とは何の関係もございませんが、昨今の中日ドラゴンズ落合監督の解任劇は記憶に新しいところです(2011年9月執筆)。「外様知らず」という言葉から、こんな俳句が頭に浮かんで参りました(笑)
「中日や 外様知らずの 人気獲り」
中日生え抜きではなく、外様のコーチ陣で固めた落合中日。賛否両論を抱えながら、人気よりも勝利を優先させた戦術ももう見られなくなるのかと思うと寂しい限りです。
内山永久寺跡の周辺には、数多くの柿の木が植えられていました。
まだ青い実も多かったですが、一部は色付き始め、いよいよ秋の深まりを感じさせる一幕です。
現在の内山永久寺跡はこんな感じです。
池ですね。
かつての本堂池でしょうか。
浄土式回遊庭園を中心に、本堂、灌頂堂、八角多宝塔、三重塔など最盛期には50以上の堂塔が並ぶ大伽藍を誇っていたと伝えられます。
池の脇に「萱御所跡」と刻まれた石碑が建っています。
後醍醐天皇が一時ここに身を隠したと伝えられます。
往時を偲ばせる内山永久寺跡の大伽藍。
かつての大和国では、東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺であったと言われます。江戸時代には、「西の日光」とも呼び習わされるほどの壮麗さを誇りました。
内山永久寺跡は石上神宮の神宮寺でもありました。
距離的にも大変近く、なるほどそういうことだったのかと気付かされます。
出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)の割拝殿。
石上神宮の楼門南側にある国宝の建築物です。
この割拝殿は、元は内山永久寺鎮守の住吉神社拝殿だったそうです。廃仏毀釈の際に難を逃れたものを、1914年現在地(石上神宮境内)に移築しています。
以前は何もない所でしたが、ちょっとした休憩所が設けられているようです。
がっかり名所とは言わせたくないですからね(笑)
階段を登った高台にベンチが用意されていました。
眼下に内山永久寺跡を収めながら、山の辺の道ウォーキングの疲れを癒します。内山永久寺跡は石上神宮とセットにして捉えておきたい歴史的名所です。