相撲の歴史を語る上で、当麻蹴速は欠かせない歴史上の人物です。
近鉄当麻寺駅から真っすぐ西へ向かって歩いて行くと、右側に当麻蹴速の塚であるけはや塚があります。
垂仁天皇の前で相撲を取った当麻蹴速。
残念ながら勝負には負けてしまいます。
相撲の歴史を伝える葛城市相撲館『けはや座』
出雲の野見宿禰に敗れてしまった当麻蹴速。
当時の相撲は命懸けで戦われるものでした。
当麻蹴速の文字が見えますね。
けはや塚は葛城市相撲館「けはや座」の横にあります。
葛城市相撲館には本場所で使用される土俵があり、大相撲の歴史が学べる資料館にもなっていて相撲ファンにはおすすめの場所です。
力士の写真付き絵葉書も展示されていました。
相撲は日本の国技です。
歴代名力士の顔写真が来館者を迎えてくれます。
相撲館の玄関口には、四股を踏む力士像。
入館料は大人300円で、火曜日と水曜日が休館日となっています。
当麻蹴速が天皇の前で相撲を取った場所・・・それは奈良県桜井市巻向にあります。
カタヤケシという場所。
今でも相撲神社にその跡が見られます。奈良県桜井市が相撲発祥の地なら、奈良県葛城市は、我が国初の相撲取り所縁の地ということでしょうか。
ところが、世の中には「発祥地争い」というものがあります(;^_^A 葛城市に隣接する香芝市内には腰折田伝承地があります。敗者側の当麻蹴速にスポットを当てた場所です。語り継がれる史実の相違。どこにでもよくあるお話ですね。
朝青龍や白鳳に代表されるモンゴル勢の活躍を、果たして相撲の始祖である当麻蹴速は予想できたでしょうか?
ライバルはお互いを磨き合いながら成長していくもの。
大鵬と柏戸、輪島と北の湖、曙と貴乃花。
当麻蹴速の相手であった野見宿禰の五輪塔は、桜井市出雲の十二柱神社の境内にあります。出雲国出身の野見宿禰の五輪塔が、同じ地名の桜井市出雲にあるのも不思議ですね。
葛城市相撲館けはや座の周辺地図。
当麻寺駅から西へ向かってけはや塚を過ぎ、そのまま西へ進んで行くと、浄土信仰で知られる当麻寺へ辿り着きます。
二上山の麓にある当麻寺。西の方角に当麻寺、太陽が沈む二上山。二上山から見て東の方角にある、太陽の昇る三輪山との対比が見事です。相撲神社も十二柱神社も、いずれも三輪山の麓付近に位置しています。
何かの偶然でしょうか?
天覧相撲の勝者である野見宿禰が太陽の昇る東に、敗者の当麻蹴速が太陽の沈む西に陣取っています。
現代の大相撲においても、東の横綱の方が西の横綱よりも番付が上ですよね。不思議な巡り合わせを感じます。