聖徳太子創建の学び道場「熊凝精舎」跡地に建立されたお寺。
名前を額安寺(かくあんじ)と言います。
額安寺のご本尊・虚空蔵菩薩半跏像(重文)を安置する虚空蔵堂。
山門を入って右手にあります。
今回の参拝は車でのアクセスでした。
近くまでは割とすんなり行けたのですが、最後は入り組んだ細い道を入って行くことになります。門の前に小さな駐車場が完備されていました。
場所は近鉄橿原線のファミリー公園前駅から北西方向に当たります。
額安寺の由来に推古天皇あり
大和郡山市の額安寺のご本尊は十一面観音菩薩です。
天平宝字年間に描かれた「額田寺伽藍並条理図」では、六町を占める広い寺域の西半に三重塔・金堂・講堂を持つ主要伽藍、東半には雑舎の院が建ち並んでいたと言います。
額安寺本堂。
額安寺の歴史を紐解くと、古くは額田寺(ぬかたでら)と呼ばれていたようです。
この辺りを本拠地にしていた豪族の額田部氏の氏寺として建立されています。お寺の近くに額田姓の表札を見かけた記憶が蘇ります。
奈良の寺社散策ではいつも気に掛けているのですが、歴史あるお寺や神社の近くでは、その地域に根差した苗字を度々見かけます。長い歴史の中で連綿と受け継がれていく苗字に奈良の歴史を感じます。
大和郡山市指定文化財の宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
宝篋印塔と言えば、生駒の円福寺にあったものを思い出します。下の方に梵字が刻まれていて、昔の人の想いが伝わります。
額安寺の文字が見えます。
それにしても、なぜ額安寺(かくあんじ)って言うのでしょうか?
その寺号は推古天皇の額に瘍(かさ)が出来てしまったことに由来します。
瘍(かさ)とは、つまり”できもの”のことですね。瘍からの快復を願い、薬師如来に祈願され快癒したことから「額安寺」の名前を賜ったと伝わります。
聖徳太子と推古天皇はこんなところでもつながっていたのですね。
額安寺から東へ徒歩2分ほどの場所に鎮座する推古神社。
推古神社というお社が近くにあることにも驚きました。
いにしえの飛鳥時代が、ここ安堵町界隈に蘇ります。
額安寺のお守り。
お値段は500円のようです。
私が拝観した時は、境内が工事中でした。
青いシートが敷かれていますね。
2012年10月10日以降、仏舎利を安置する堂舎に入場することができるようになります。
インドの初代首相・ネール氏から手渡しで仏舎利を頂かれた、世界的宗教画家・杉本哲郎氏のご遺族により奉納された仏舎利です。この上なく有り難いお釈迦様の御遺骨です。
額安寺の拝観料は大人500円。
公共交通機関でのアクセスは、近鉄平端駅から徒歩15分となっています。お車でのアクセスは、名古屋・天理方面より西名阪自動車道「大和まほろばスマートIC」から約5分です。