桜井市倉橋の梶山古墳群。
倉橋溜池を造る際、水没を免れた古墳です。
現在、横穴式石室の中を見学できるのは2基のみのようです。いずれも石室インは今回が初めてです。奈良県遺跡地図15C-32に至っては開口部も初見でした。どうやら以前に訪れた時に見落としていたようです。
梶山古墳群の中の一つ、15C-32の横穴式石室。
古墳時代後期の両袖式横穴式石室が南に開口しています。玄室手前の天井に隙間が空いており、光が漏れています。懐中電灯無しでも、十分に中を確認することができました。
広い玄室!音羽山から北へ伸びる尾根の一群
梶山古墳イコール「水没」というイメージが付きまといます。
溜池造成のために致し方ない部分もあったかと思いますが、文化財保護の観点からは少し残念です。そんな中で、辛うじて難を逃れた古墳ということで運の良さを感じさせます。
梶山古墳15C-32。
この古墳の発掘調査は行われていません。
調査済みの梶山古墳1号墳、2号墳、3号墳、4号墳は全て既に水没してしまっています。
ちなみにこの開口部から左へ、溜池の畔にあるのが梶山古墳15C-30です。池により近い方の石室開口部は知っていましたが、こちらの開口部は初見です。
倉橋溜池ふれあい公園のまほろば広場。
立看板のキーワードに「音羽山」と案内されていますね。
梶山古墳群の横穴式石室を見学する際は、まほろば広場の西にある桜の宮広場に駐車するといいでしょう。桜の宮広場から徒歩2分ほどでまほろば広場に到着します。
季節の花が咲いていました。
梶山古墳群の横穴式石室は、まほろば広場の原っぱと丘陵の境目にあります。
倉橋ため池周辺の古墳。
丘陵の裾に案内板がありました。この案内板から左へ行くと、すぐ右手に現れるのが15C-32の石室です。そこからさらに池の方へ進むと、右手に柵が見えてきます。その柵の奥にあるのが15C-30の石室です。
倉橋溜池は昭和21年に粟原川の支流を堰き止めて造られましたが、この時73基ほどあった古墳群の一部が水没しました。このうち梶山古墳群のうち3基が発掘調査されました。古墳の多くは直径8mぐらいの円墳で、横穴式石室の中に組合式石棺や木棺が安置されていました。出土した須恵器などの副葬品から6世紀の終わり頃のものでしょう。
この周辺には多くの古墳が残されていますが、古代の桜井の人々の墓域をしのばせるよすがとなるでしょう。
※古墳の中をのぞいてみよう。
中には、王様に仕えた部下の棺が入っているんだね。
15C-32の横穴式石室。
開口部には土砂の流入がありますが、奥の方は広いですね。
玄室の天井石と奥壁。
やや持ち送りが見られるでしょうか。大小様々な石材が使われています。
お隣りの玄室よりも一回り大きい!
玄室の高さは2.5mほどあるでしょうか。かなり余裕のある空間です。
玄室の天井に隙間が空いています。
光が漏れ、フラッシュをたかなくても撮影可能です。
明るさに助けられ、さほど緊張感も無く見学できます。
こんなに立派な横穴式石室が存在していたんですね。以前はここを素通りしていました。開口部を含め、少々分かりづらい場所にあります。
ゆったりと楽しめる石室です。
この横穴を出たら、すぐにそこは憩いの場・・・人気(ひとけ)の無い山中でもなく、親しみやすい古墳だと思います。
玄室の中には石材が散乱していました。
棺とも何か関係があるのでしょうか。古代ロマンが掻き立てられますね。
少し角度を変えると、より広く見えます。
まぁ、実際に広いんですが(笑) 天井から漏れる光が、広角を上げて笑う口のようにも見えます。
倉橋溜池周辺には多くの桜の木が植えられています。
花見シーズンには見物客で賑わいます。よく考えてみると、その花見客のほとんどが梶山古墳群の存在を知らないのではないでしょうか。同じく桜の名所である石舞台古墳とは大きな隔たりがあります。
羨道を通って出口へと向かいます。
この辺りにはかなり落葉が山積していました。
すっかり観光地化された石舞台古墳と、人知れず存在している梶山古墳。
桜井市の魅力はこんなところにもあるのでしょう。
梶山古墳群から溜池の周囲を巡り、トンボ池広場の方へ出るとエンドウ山古墳を見学することができます。毎度のことながら、桜井市民としてお伝えすることは枚挙にいとまがありません。