法隆寺聖霊院の手水鉢『籏尾分川』

聖徳太子が築造したと伝わる池の名前のようです。

法隆寺聖霊院の手水鉢に陰刻された文字。「籏尾分川」(はたおぶんがわ)とは、籏尾池・分川池のことを意味します。農業用水として恩恵を受ける農家が、手水鉢を法隆寺に寄進したようです。

籏尾分川

法隆寺聖霊院の手水鉢。

農家の方々は、毎年法隆寺に初穂を奉納する慣わしです。太子講を組織し、聖徳太子への信仰を今も持ち続けておられるようです。

お会式開扉の聖徳太子像@法隆寺聖霊院
法隆寺には45歳の聖徳太子坐像が祀られています。 少年時代の聖徳太子像は県内各所で見て参りましたが、壮年期の太子像はまだお目にかかったことがありません。法隆寺で催されるお会式(聖霊会)の時にだけ拝観が許されるようです。 法隆寺聖霊院(国宝)...

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二上山を望む籏尾池!蔀戸の上がる国宝聖霊院

香芝市関屋にある籏尾池(はたおいけ)。

遠く飛鳥時代に、聖徳太子が灌漑用に築いたと伝わります。周囲2キロメートルの池の畔にはウォーキングを楽しむ人々が行き交います。二上山の眺望でも知られ、奈良県景観資産として人気があります。

法隆寺聖霊院と手水舎

手水舎の木鼻。

木鼻越しに国宝・聖霊院を見ます。聖霊院は鎌倉時代の建物ですが、中には平安時代の国宝・聖徳太子像を祀っています。

法隆寺聖霊院と五重塔

聖霊院の左奥に見えるのは、西院伽藍の金堂と五重塔です。

手水鉢の上宮太子

上宮太子と刻む手水鉢。

元禄10年(1697)に寄進されているようです。

法隆寺聖霊院

本瓦葺の国宝建築ですが、向拝は檜皮葺ですね。

桁行6間、梁間5間に及びます。「聖霊院(しょうりょういん)」と読み、太子命日のお会式が有名ですね。

法隆寺聖霊院と聖徳太子像

聖霊院(鎌倉時代 国宝)

法隆寺を創建した聖徳太子の尊像を安置する殿堂で、聖徳太子が逝去されて五百年に当たる保安2年(1121)に、僧房東室の南端三房分が御堂とされ、弘安7年(1284)に建て替えられて現在の姿となった。聖霊院内陣の奥にある唐破風を付けた厨子は三部屋に区切られ、その中央には、保安2年に開眼された等身大の聖徳太子像、向かって右側の厨子には、太子の仏教の師である高句麗僧の恵慈法師と太子の弟君のあたる卒末呂王、背後に地蔵菩薩像、向かって左側の厨子には、太子の長子である山背大兄王と太子の弟君にあたる殖栗王、背後に如意輪観音像が祀られている。

聖徳太子像(平安時代 国宝)

聖徳太子(574~622)は、6世紀半ばに中国大陸から日本に伝来した仏教の普及において、中心的な役割を果たした人物で、本像は推古天皇の御前で勝鬘経を講説された35歳または46歳の時、あるいは摂政の姿とされる。毎年3月22日には厨子の扉を開いて、太子の御命日法要であるお会式が営まれる。このとき大山立と言われる供物などで堂内が荘厳される。

法隆寺聖霊院の手水

龍の口から清水が出ています。

胴体は壺のような造りになっています。羽のような線刻も見られますね。とても珍しい手水です。

法隆寺聖霊院

法隆寺の中心はご本尊を祀る金堂だと思いますが、ある意味聖霊院も心臓部と言っていいでしょう。

聖霊院の蔀戸

蔀戸を開く聖霊院。

太子信仰の根付く場所です。

法隆寺の伏蔵

こちらは法隆寺の伏蔵

法隆寺の七不思議の一つに数えられます。

籏尾池のアクセスですが、近鉄大阪線の関屋駅から北東へ徒歩18分のようです。まだ足を運んだことのない場所です。機会を見つけて訪れてみたいと思います。

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