桜井市箸中の堂ノ後古墳

「どうのうしろ」。

ホケノ山古墳のすぐ西側に5世紀後半築造の堂ノ後古墳があります。

少し前まではホケノ山古墳に先立つ古墳かと騒がれましたが、現在では古墳時代後期の前方後円墳とされます。墳形に関しては円墳との見方も残されますが、墳丘上に登れる貴重な古墳としてご案内致します。

堂ノ後古墳

堂ノ後古墳の墳丘。

周囲には田畑が広がっていました。

冬期に訪れたため、比較的墳丘にも登りやすかったのではないかと思います。

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三輪山と箸墓古墳を望む墳丘

堂ノ後古墳への行き方を記しておきます。

箸墓古墳の周囲を巡った後、JR万葉まほろば線のかまぼこ型踏切を通って国津神社へと向かいます。そのまま巻向川沿いに進み、ホケノ山古墳へ左折する一つ手前の道を左へ曲がります。細い道を辿って行くと、やがて周濠の名残と思しき溜池に出ます。その周りを道なりに進んで行くと、左手に堂ノ後古墳が見えて参りました。

堂ノ後古墳から見るホケノ山古墳

堂ノ後古墳からホケノ山古墳、三輪山を望みます。

東を見ればホケノ山古墳と三輪山、西には箸墓古墳という位置取りです。

村社国津神社

アクセス途中にお参りした国津神社。

境内から弥生時代の石鏃が出土したというお社です。

ホケノ山古墳と周濠跡

ホケノ山古墳の墳丘と溜池。

小さな用水池のようですが、かつての周濠の名残でしょうか。

墳丘上へ続く道

堂ノ後古墳の墳丘へとつながる道。

墳丘は竹林に覆われていましたが、ここだけ細い道が出来ていました。

堂ノ後古墳の解説

堂ノ後古墳の案内板。

纒向地域から南の茅原の地域にかけての丘陵部には、有名な珠城山古墳群や箸墓古墳、茅原大墳古墳などがあるが、この地域にはほかに20数基の中・小規模の古墳が散在している。数基の方墳のほかは古墳時代後期の円墳と見られ、中には前方後円形を呈するものもいくつかあるようだ。堂ノ後古墳もこれらの古墳群の中の一つで、調査が行われていないため詳細は不明だか、径35m程度の円墳のようだ。

横穴式石室が残る珠城山古墳群、さらには卑弥呼の墓説が有力な箸墓古墳の名前が挙がります。

案内板によれば、円墳説が唱えられていますね。もし前方後円墳だとすれば、前方部はホケノ山古墳側に伸びていたものと思われます。

堂ノ後古墳から望む箸墓古墳

堂ノ後の墳丘上から箸墓古墳を望みます。

見事にてっぺん部だけが刈り取られています。

茅原大墳古墳ほどの展望は開けていませんが、それでも三輪山や箸墓古墳を近くに感じるだけで十分満足です。

堂ノ後古墳と箸墓古墳

西に箸墓古墳、その遥か先には大阪との境目の山々が連なります。

ここが四方を山々に囲まれた奈良盆地であることを再確認します。

三輪山

東には三輪山。

堂ノ後古墳の周濠部からは円筒埴輪片鶏形埴輪の頭部(長さ約23cm)などが出土しています。

堂ノ後古墳

墳丘から下りて、古墳の周りを歩きます。

地味な古墳ではありますが、訪れてみる価値があります。

多数の古墳を抱える箸中エリアには、まだまだ古代の謎が詰まっていそうな予感がしますね。

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