三輪山麓の磐座巡りで訪れた平等寺。
影向石の他にも、不思議な石造物がありました。神の依代と伝わる影向石は、間違いなく三輪山麓の磐座でしょう。今回取り上げる石造物が磐座であるか否かは不明です。その辺りには触れず、とりあえずレポート致します。
平等寺山門と鐘楼。
この鄙びた山門は、旧平等寺から伝わる唯一の建造物です。
かつての平等寺本堂は、春日神社(大神神社末社)の辺りにあったようです。春日社は平等寺の鎮守神として仰がれ、今も春日四神を祀っています。春日社から現平等寺まで下って来るエリアには、かつての平等寺伽藍が建ち並んでいたと言います。
不思議な形の岩!陽石と支石墓に似た岩屋不動
不動堂の右手奥に「人像石」と呼ばれる岩がありました。
花崗岩製のようですが、その形が何とも言えず奇妙です。
平等寺の人像石。
上部が前方に突き出ています。
単純に考えれば、仏像でも彫られていたのかなと思いました。しかし、そのような痕跡はどこにも認められません。三輪山麓でゴロゴロ転がっている岩を見かけると、何でも”磐座”と結び付けがちですが注意が必要でしょう。その点、先日見学した「影向石」は辺津磐座の一つだと思われます。
影向石は「星降(ほしふり)」を拝む形になっていると言います。
平等寺の上手に鎮座する春日神社の背後に、巨岩”星降”の存在が今に言い伝えられます。
かなりの突出部です。
しっかりバランスを取っていますね。
こちらが平等寺の本堂(坐禅堂)。
昭和62年に再建されています。
聖徳太子が自ら造像したと伝わるご本尊・十一面観世音菩薩を祀ります。観音様の他にも、薬師如来や阿弥陀如来、地蔵菩薩、聖徳太子像などが安置されています。本堂地下において、「日曜坐禅会」が行われていますので、ご興味のある方は問い合わせてみるといいでしょう。
異様な岩です。
おそらく人工的に造られたものでしょう。
足元の残欠石。
人像石と何か関係があるのでしょうか。
平等寺の岩屋不動。
人像石のすぐ左手に祀られていました。
支石墓(ドルメン)を思わせる造りですね。ドルメンは世界各地に見られ、ケルト語の dol(机)men(石)に由来します。巨大なドルメンに比べれば小さなものですが、その構造はよく似ています。
岩屋不動の中の陽石。
黒っぽい色をしているのが陽石でしょう。
桜井市芝の九日社にも陰陽石がありましたが、これもその類に属する磐座だと思われます。
二重塔釈迦堂。
平成16年に再建されました。
中央に生身釈迦像、平等寺仏足石、Dharmarajika寺院伝来の仏舎利を祀ります。山の辺の道から山門を入ると、本堂よりもまず二重塔が視界に入ります。今となっては平等寺のシンボル的建築物ですね。
不動堂と十六羅漢像。
不動堂内には、弘法大師作の三輪不動尊が祀られます。
不動堂の右手奥にひっそりと立ち続けます。
江戸時代までは興福寺末寺でもあった平等寺。
平等寺は「三輪別所」の曹洞宗寺院です。磐座をイメージし過ぎると、「神座(かむくら)」としての神道的なものに引っ張られますが、実は仏教的意味合いを持つ岩なのかもしれません。
二重塔釈迦堂を背後から見上げます。
十六羅漢が塔の周りをぐるりと取り囲んでいました。
一通り見学を終え、赤門を抜けて石段を下ります。いつもなら山の辺の道のルートを取りますが、今回は左方向を目指します。
平等寺の塀沿いに川が流れます。
石標に文字が刻まれていますが、正確には読み取れません。「三輪山云々」と書かれていますね。
その脇には不動明王の石仏が祀られていました。
この道を進めば、行滝の「不動の滝」へと通じています。
この角度から二重塔釈迦堂を見るのは稀です。
何度も往来した平等寺周辺ですが、山の辺の道のルートに沿っていただけでした。反対方向へ行くと、新たな発見が待っています。
「不動の滝行場心得」。
脱衣所を使用する場合は、寺務所に申し出て下さい。
”行は脚下にあり”と書かれていますね。禅寺でよく目にする照顧脚下の意味でしょう。行場の心得にも、留意点として「履物を揃える」と明記されています。改めて我が身を振り返る瞬間です。
三輪山平等寺の不動の滝。
古来、大峰山に登る行者が修行したという行場です。滝の前の祠には、たらたら不動尊が祀られていました。
行場からの帰り道。
石橋を渡って石段を上れば、平等寺赤門へと通じています。三輪山麓には滝行の場が幾つかありますね。辰五郎大明神の手前にある「きよめの滝」はよく知られます。そう言えば、きよめの滝の道中にも不動石仏が祀られていたことを思い出します。