JR京終駅の東方に椚(くぬぎ)神社が鎮まります。
神社のある場所は奈良市肘塚(かいのづか)町で、古くは椚町と呼ばれたエリアです。特筆すべきは、え!?なぜこの場所にと思わせる立地にあります。
四つ辻の民家前に鎮座する椚神社。
またまたエライ場所にありますね(笑) 車両進入禁止の道路標識と並ぶように御神木の椚が聳え立ちます。これは何か、この場所を動かせない事情があるはずだ・・・直感的にそう悟ります。
弘法大師の櫟の杖
御神木の櫟(くぬぎ)ですが、現在は3代目に当たるようです。
弘法大師空海が大柳生から奈良へ来た際に、この地で休息したという逸話があります。出立にあたり、櫟の杖を挿して置いて行かれたものが芽を出し、御神木になったそうです。なるほど、空海ゆかりの櫟(くぬぎ)だったのですね。
想像に難くありませんが、この櫟の木を切ると罰が当たるようです。御神木が先にあって、町が後の世に形成された。よくあることですが、それ故の立地なんだと思わせます。
御神木の南側には、ちゃんと鳥居も建っていました。
椚神社前の横断歩道が赤く塗られていますね。道幅がここだけ狭くなっているわけですから、通行の際は注意が必要です。御神木を取り囲む瑞垣も単なる瑞垣ではなく、万一に備えたガードレールの役目も担っているようです。瑞垣の下はブロック塀になっていますしね。
紀寺町界隈から京終の椚神社へアクセスします。
四つ辻にあるベーカリーショップ『アンデス』さんから西へ真っ直ぐ進みます。しばらくすると、左手にお目当ての椚神社が現れます。
椚神社の扁額。
木札に手書きで神社名が記されます。
空海ゆかりのスポットにしては、随分お手軽ですね。
『奈良坊目拙解』によれば、南都南口惣門がこの地にあり、その傍らにクヌギの大樹があったと伝えられます。
また、『京終さろん』さんのフェイスブックページでは、鹿柵の南端がこの付近にあったと案内されています。
かつて興福寺の衆徒が各地通報の際、肘塚(かいのづか)で法螺貝を吹いて相呼応したとも伝えられます。
様々な言い伝えのある椚神社。
改めて奈良の歴史の深さを感じさせてくれますね。