大和神社の境内で戦艦大和の模型を見学して参りました。
戦艦ヤマトの守護神であり、現在でも境内の祖霊社に伊藤整一命他が祀られている大和神社(おおやまとじんじゃ)。拝殿向かって左前に戦艦大和展示室が設けられており、誰でも自由に無料見学することができます。
戦艦大和の模型。
「浮沈戦艦」と呼ばれた戦艦大和の雄姿が再現されています。
日本大国魂大神を祀る日本最古の神社
大和神社には日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)が祀られています。
日本の国の土地を司る神で、宮中内に天照大神と共に奉斎されていました。第10代崇神天皇6年に皇女淳名城入姫(ぬなきいりひめ)によって当地に移されたのが大和神社の創建とされます。2,000年余り前に創建された大変歴史のある神社として知られます。
戦艦大和の艦上で待機する飛行機。
軍用機がこれだけ小さいわけですから、いかに戦艦大和が巨大であったかがうかがえます。戦艦大和の全長は263mとされ、縦に長い大和神社の参道の長さに匹敵します。下ツ道沿いに建つ大和神社ですが、下ツ道から正殿に至るまでの距離が、戦艦大和の長さと同じであると言われています。
大和神社の拝殿。
私の参詣した日が2月下旬だったこともあり、拝殿にはひな祭りを祝う雛壇が飾られていました。
戦艦大和展示室にディスプレイされていた戦艦大和の絵。
悲しくも勇ましいヤマトの姿が描写されています。
絵の上部には大和神社の神紋である橘紋が見えます。
その隣は日本国を象徴する十六菊花紋でしょうか。
拝殿向かって右側に鎮まる大和神社の祖霊社。
戦艦大和と共に殉じた2,736名御霊が祀られています。
戦艦大和の一番高い所です。
ここは見張り台としても使われていたのではないでしょうか。
大和神社は元来、大倭(おおやまと)神社と書かれていた歴史があります。
「倭」という漢字は「魏志倭人伝」にも見られるように、古代中国が日本人を指して使った言葉であり、日本人を蔑む呼び方でもありました。倭とは、背が曲がって丈の低い小人のことを意味しています。
大和神社からも車で数分の距離にある箸墓古墳。その埋葬者ではないかと伝えられる邪馬台国の女王・卑弥呼ですが、卑弥呼という名前も、卑しいという漢字が入っていることから蔑称であると推測できます。邪馬台国の女王・卑弥呼には、日巫女という漢字を当てる場合もよくあります。
日本大国魂大神が祀られる大和神社。
蔑称である「倭」を嫌って「和」の字を採用することになった大和神社。
「和」で「ヤマト」と読ませていたわけですが、奈良時代の二字化政策によって「大和」と書かれるようになったいきさつがあります。
「戦艦大和ゆかりの神社」と刻まれた石碑の手前に、父子桜が植えられていました。
数年前に大和神社を参拝した時には、どちらも無かったように記憶しています。
戦艦大和展示室。
簡易プレハブ小屋といった趣です。
中の電気が付いていなかったので、私自ら電気のスイッチをオンにさせて頂きました(笑)もちろん、見学が終わったらきちんと消灯しておきましょう。
戦争の歴史を今に伝える小さな資料館として、一度は訪れておきたい場所ですね。
大和神社の近くには、戦時中に使われた柳本飛行場もあります。大和神社から最寄りのJR長柄駅までの道のりには、戦争が残していった爪痕のようなものも感じられます。決して繰り返してはならない歴史であることを再確認しておきたいと思います。
戦艦大和の艦上の大砲。
第二次世界大戦で活躍した戦艦ヤマトは、アメリカ軍の空爆によって海の藻屑と消えてしまいました。
整列する乗組員の姿が見えます。
艦上のワンシーンですが、実にリアルに再現されています。
船体の端から何やらせり出した部分があります。
この部分はどんな役割を果たしていたのでしょうか。
大和神社の絵馬ですね。
中殿の日本大国魂大神、左殿の八千戈大神、右殿の御年大神が表されているものと思われます。
奈良朝時代には、遣唐使も出発に際して交通安全を祈願したと伝えられる大和神社。
日本の歴史に多大な影響を与え、今もなお日本国を見守り続ける古社が奈良県天理市に鎮座しています。当館大正楼からもお車で10分ほどでアクセスすることができます。
大和神社参拝案内
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住所:奈良県天理市新泉町星山306
拝観料:無料
駐車場:一の鳥居を抜けてすぐ左側に数台有り(無料)
アクセス:JR万葉まほろば線長柄駅から徒歩5分、天理駅から桜井駅行きバス「大和神社前」バス停下車徒歩5分、桜井駅から天理駅行きバス「大和神社前」バス停下車徒歩5分