仁王像とは、要するに金剛力士像のことですよね。
なぜ仁王像と言うのか。この疑問に対する答えですが、二体の像が門を守る「二王」に由来していることをご存知でしょうか。阿形と吽形、阿吽二体の金剛力士像が居るから仁王(二王)と呼ばれています。
西国七番霊場・岡寺の仁王像。
向かって右側に陣取る阿形の仁王様です。
仁王像は仏像の位で言えば、如来、菩薩、明王の下に位置する天部に属します。
仏像のランクでは最下位にある天部の仏像です。天部の代表格が四天王像ですが、御本尊の周りを取り囲み仏法を守る姿はお馴染みですよね。その他にも梵天・帝釈天、毘沙門天、吉祥天、大黒天、十二神将、閻魔王、蔵王権現などが天部に属しています。
金剛力士とは金剛杵を持つもの
金剛力士とは金剛杵(こんごうしょ)を持つもの、と解されます。
金剛杵はかつてインドの武器であり、法具でもありました。
密教において、煩悩を破砕する金属製法具として知られます。弘法大師空海ゆかりの地を訪ねると、よく目にする機会のある神秘的道具です。細長くて手で握ることができます。真ん中がくびれており、両端が広がっています。広がらずに両端が尖っているものを独鈷(とっこ)と言います。そして両端が三又に分かれているものを三鈷杵(さんこしょ)、五つに分かれているものを五鈷杵(ごこしょ)と言います。
岡寺仁王門(重要文化財)で睨みを聞かせる仁王像。
「金剛杵を持つもの」と言いますが、実際には法具を手にしていないようです。
お寺の入口に立って、邪悪なものの侵入に目を光らせています。
元来、阿形の仁王像を「金剛像」、吽形の方を「力士像」と言ったようです。
へ~、そうだったんだと気付かされます。
今まで普通に「金剛力士像」と一つの仏像として呼び習わしていましたからね。二天、仁王尊とも崇められる忿怒の仏像ですが、伽藍を守護する大切な役目を今日も担っていました。
岡寺の石楠花と「弥勒の窟」。
境内に洞窟があることは、前回の参詣で初めて知りました。石窟の奥には弥勒菩薩が祀られています。
太陽の光が降り注ぎます。
普段私たちは「仁王立ち」という言葉を使いますが、その語源が仁王像にあることは言うまでもありません。
大きな草履が掛けられていますね。
岡寺は西国観音霊場の札所です。数多くのお遍路さんが訪れる場所でもあります。
こちらは吽形の仁王像。
やはり吽形像は向かって左側と相場が決まっているようです。難しい名称で、「密迹(みっしゃく)金剛」とも言うようです。
東大寺南大門ほどの威圧感はありませんが、それでも十分に何かを見透かされているようで、思わず襟を正す自分が居ます(笑)