平城繁雄の軍鶏の掛軸

客室の掛軸に軍鶏(しゃも)が描かれています。

シャモの絵を得意とする日本画家・平城繁雄(ならしげお)画伯によって描かれたものです。

軍鶏の掛軸

平城繁雄の軍鶏。

グッと鶏冠(とさか)を持ち上げ、一点を見つめる鋭い目!

首の長さは軍鶏の特徴を表していますね。上から垂れ下がるのはトウモロコシの葉でしょうか。キャプションに注目すると、平城繁雄の名と共に「昭和二十五歳仲春」と記されます。当館でもよくお出ししている大和肉鶏は軍鶏の血を引いていますが、シャモは食材としても人気が高く、江戸時代には軍鶏鍋が流行りました。

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奈良県文化功労者として表彰された平城繁雄

平城繁雄こと山下繁雄氏は東京で生まれました。

1883年に生を享け、1958年(昭和33年)には逝去しています。その最期を奈良市内の自宅で迎えたと言います。

昭和26年には奈良県文化功労者として表彰されています。この掛軸は昭和25年のもののようですので、ちょうど脂ののった時期だったのではないでしょうか。

平城繁雄の軍鶏

床の間に掛かる軍鶏の掛軸。

雄々しい立ち姿で、踏ん張る脚が実に力強い!左脚の脇には、雌と思しき軍鶏の頭部が描かれています。トウモロコシは軍鶏の飼料ということでしょうか。

シャモの掛軸

ずんぐりむっくりした普通の鶏とは一線を画します。

軍鶏の歴史を辿ると、江戸期にタイから伝来していることが分かります。

タイの旧名・シャムが転じて、軍鶏(しゃも)になったようです。シャム猫なども、タイ王国原産の猫として知られます。

平城繁雄の軍鶏図

掛軸の中に表現される雄と雌の陰陽。

大きなトサカは雄の象徴でしょう。鶏冠(とさか)には毛細血管が発達しており、体温調節の役目も担っているようです。ももの張りが顕著で、実に美味しそうですね(笑)

床の間の物入れ

掛軸の横の物入れ。

地袋でもなく天袋でもない位置に、宙に浮くように配置されています。

床天井

床天井の模様。

まるで ”雲” でも浮かんでいるような意匠です。

床の間の前板

その下の前板(まえいた)。

前板のデザインも、どことなく ”たなびく雲” を思わせます。

上下を雲で挟まれて、物入れも宙に浮いているのでしょうか。

床の間

畳と前板の境目には、五本の板が並びます。

床の間を晴れ(ハレ)、畳のスペースを褻(ケ)として区別しています。

大正楼客室

かつては闘鶏に使われたシャモ。

闘争本能を持つシャモの特性を活かしたものでしたが、明治以降は法律で禁止されているようです。シャモが日本に入って来る以前から、鶏合(とりあわせ)という名で闘鶏は行われていました。明治~大正~昭和と生きた平城繁雄氏は、軍鶏の姿に何を感じたのでしょうか。

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