おせちの語源

お正月に食べるおせち料理。

おせちの語源はどこにあるのでしょうか。

おせちの「せち」は節日(せちにち)を意味しています。節日とは、生活の折り目や季節の変わり目などに祝いを行う日を言います。節日(せつじつ)とも言いますが、元旦・白馬(あおうま)・踏歌・端午・相撲・重陽豊明(とよのあかり)などの節目を指します。節日を迎えると、供え物を捧げて共に会食をする慣わしがありました。

鯛の姿焼き

お節料理の鯛の姿焼き。

お祝い料理とくれば、尾頭付きの鯛は外せませんね。左頭に右尾っぽに整列させ、胴体に飾り包丁を入れます。鰭に塩を付ける前に踊り串を打ってスタンバイ。

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節供の料理がおせちの起源

節日に会食する行事のことを節句、あるいは節供(せちく)と言います。

正月15日の粥、3月3日(上巳)の草餅、5月5日(端午)の粽(ちまき)、7月7日(七夕)の索餅(さくべい)、10月はじめの亥の日の亥子餅(いのこもち)等々を節供と言うわけですが、お正月に食べるお節料理のルーツも同じところに端を発します。

おせち料理

お正月のおせち料理。

一年の流れの中で節目節目を大切にする。生活の良いリズムを作っていく上でも、とても大切なことのように思います。

おせち料理の手綱蒲鉾

おせち料理の手綱蒲鉾(たづなかまぼこ)。

手綱こんにゃくと同じ要領で、真ん中に縦長に包丁を入れ、ひっくり返して形を整えます。

ところで、節日(せちにち)の一つ・白馬(あおうま)とは一体どんな日を指しているのでしょうか?

上代においては、青馬・白馬(あおうま)と言えば黒く青みがかった毛色の馬のことを言いました。平安時代以降になると、白色、あるいは葦毛の馬のことを指すようになります。葦毛の馬って、現代でイメージするならオグリキャップということになるでしょうか(笑)

お節料理の如意巻き

おせち料理の如意巻き。

その昔、陰暦1月7日になると、白馬の節会(あをうまのせちゑ)という行事が催されていました。青馬(あおうま)を見れば災いを除くという故事に従い、天皇が紫宸殿に出御し、佐馬寮・右馬寮から庭上に引き出された青馬をご覧になられた後、宴を賜った儀式が行われていたのです。醍醐天皇の頃から青馬から白馬(あおうま)に変わっていったようですが、慣習によって白馬(あおうま)と言い伝えられています。

葦毛の馬は、歴史的に見ても縁起のいい馬だったのですね。

大和茶の伊達巻

大和茶の伊達巻。

奈良が誇る大和茶の粉末を伊達巻の生地に入れてみました。

節日の中でもう一つ、気になる節目がありました。豊の明かり?果たして豊の明かりとはどういう節目のことを言うのでしょうか。

豊の明かりの「とよ」は美称で、「あかり」は酒のため顔が赤らむことを意味しています。

豊の明かりの節会とは、新嘗祭の翌日(陰暦11月の中の辰の日)に、天皇が新穀を召し上がって群臣にも賜った儀式のことを言います。「豊の明かり」とは、何とも縁起の良さそうな言葉ではないでしょうか。

酒のチカラは偉大です。

第10代崇神天皇も、酒の力によって国を治めたと今に伝えられます。大神神社は酒の神様でもあり、杜氏の祖神と崇められる高橋活日命を祀る活日神社が大神神社境内に鎮まります。酒に酔って神と交信する。おそらくそんなイメージを古代人たちは持ち合わせていたのではないでしょうか。一種のトランス状態であり、神憑りにも通じるものがあります。

家族でおせち料理を食べて、酒を酌み交わす。さぁ、今年も新たな一年が始まります。

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