平城京の東北隅に位置する海龍王寺。
境内の西金堂内には、高さ約4.1mの五重小塔が安置されています。海龍王寺の五重小塔は国宝に指定される遺構で、奈良時代の建築様式を今に伝えています。
海龍王寺の五重小塔。
上層から下層へいくに従い、屋根が徐々に末広がりに大きくなります。美しいフォルムと精巧な三手先組物に魅了される五重塔ですね。海龍王寺は写経発祥の寺でもあり、鎌倉時代の本尊・十一面観音立像が観光客の人気を集めています。
小さなお寺ですが、国宝や重要文化財を見学できる、決して隅には置けない「隅寺」ではないでしょうか。
重文の西金堂に安置される国宝の塔
国宝の五重小塔が収まるお堂ですが、これもまた重要文化財に指定されています。
奈良時代の天平3年(731)に建立された西金堂(さいこんどう)で、鎌倉期と昭和期に計二度解体修理されているものの、建立当時の規模や形式を踏襲しています。
海龍王寺の西金堂(重要文化財)。
拝観受付から境内に入ると、真正面に見える建物です。
開け放たれた扉の中に五重小塔が見えていますね。
海龍王寺の山門。
平城宮跡へ通じる道路脇に建ち、土塀を従え、鄙びた雰囲気を醸します。
左手が西金堂、右手は十一面観音を祀る本堂です。
西金堂と言うぐらいですから、創建当初には中金堂、東金堂、西金堂が並び建っていたようです。現在私たちが目にすることができる五重小塔は西金堂の一基のみですが、当時は東金堂にももう一基の五重小塔が収められていたと言います。
奈良時代の様式を今に伝える西金堂。
建立後に解体修理を受けているため、”そのままの天平建築” ではありませんが、今でも奈良時代の木材を一部残しています。この建物の中に五重塔が収蔵されているとは思えませんよね。
国宝 五重小塔 奈良時代前期
重文 西金堂 奈良時代 天平3年(731)建立
鎌倉時代と昭和40年~41年にかけて解体修理を受けておりますが、規模や形式には大きな変更はありません。一部、奈良時代の木材を残しています。
ローアングルから写真に収めます。
屋外の五重塔の撮影は逆光に悩まされるものですが、こちらはその心配も要りません。
元興寺にもより精巧な五重小塔がありますが、写真撮影が禁止されています。内部に至るまで実物モデルに沿って造られたのが元興寺五重小塔で、海龍王寺の方は内部構造が一部省略化されています。
それでも、見事なミニチュアです。
奈良時代の建築技法を今に伝える遺構に違いはありません。
初層部分は向こうが見えるようになっていますね。
歴史的に見れば、海龍王寺の五重小塔の方が元興寺より古いとされます。
奈良時代前期の建築様式を、今もそのままに伝える傑作です。
観光客のみならず、建築・美術関係の参拝者が多いのも頷けますね。
古い建物にお参りすれば、こうやって仰ぎ見るのが癖になっています。
その一つ一つに計算され尽くした匠の技を見ることができます。
西金堂から本堂を望みます。
海龍王寺と言えば、旅行の安全を祈願する場所でもあります。寺の開基に当たる玄昉が、唐から帰国の際、暴風雨に見舞われながらも海龍王経を唱えて生き延びたことに由来しています。唐から経論を無事に持ち帰った玄昉は、海龍王寺の初代住職に迎えられることになります。
姿を覗かせる五重小塔。
元興寺の五重小塔は5.5mと言いますから、それより少し小振りです。
元興寺の場合は五重塔の周りにも様々な展示品があるのですが、海龍王寺はこの一点のみです。お堂の中に五重小塔がただ一点。そういう意味では、こちらの方がより見応えがあります。
参拝客に余韻を残す立派な五重塔ですね。