阪奈道路の分岐点手前にお堂が建っています。
三条大路を西へ向かい、近鉄尼ヶ辻駅に辿り着く手前辺りです。割と新しいお堂で、中には阿弥陀石仏と地蔵菩薩が祀られていました。
伏見崗(ふしみのおか)に建つ阿弥陀堂・地蔵堂。
左が地蔵堂で、一回り大きい右手のお堂が阿弥陀堂です。
尼ヶ辻阿弥陀石仏。
阿弥陀堂の中には舟形光背を持つ、鎌倉時代後期の石仏が祀られていました。2mはあるでしょうか、なかなか立派な阿弥陀様です。
東大寺大仏造立を守護した伏見崗
尼ヶ辻の阿弥陀石仏は、東の方角を向いています。
その先に見据えているのは東大寺の大仏です。
三条大路を西へ進むと緩やかな坂道が続き、阪奈道路の分岐点へと入ります。ここはちょっとした高所から、遥か東方の東大寺を望む場所に当たります。
伏見崗の石碑。
「伏見崗」と称する此処に旧跡阿弥陀堂・地蔵堂が建ち、東大寺大仏建立にまつわる「伏見翁」縁の霊地です。
平成11年(1999)10月31日薬師寺式衆山田法胤師を導師として五僧・南都楽所笠置侃一師を楽頭として九人の楽師により、落慶開眼法要が営まれ、天平8年此崗で「菩薩舞」が誕生し舞楽曲「菩薩」が、後に大仏開眼法要にも奉納され千二百六十三年を経て、再びこの地で奏楽されました。
平成11年12月吉日 有志一同
異国・天竺(インド)の人物とも伝わる伏見翁(ふしみのおきな)。
俗世間との親交を立ち、隠者としてこの地に3年間も伏していたと言われます。時々東方の東大寺造営を見ながら過ごし、東大寺造営の土地を鎮め守り続けたそうです。無事に東大寺造営が終わると、立ち上がって菅原寺(喜光寺)へ下り、行基や婆羅門僧らと共に歌い舞ったと伝わります。
伏見崗の西方には垂仁天皇陵があり、伏見という地名が今も残されています。
伏見崗の石塔。
阿弥陀堂の右横に並んでいました。
福徳地蔵菩薩。
こちらは小ぢんまりしたお地蔵様です。
尼ヶ辻駅方面から東を見ます。
交通量の多い道路脇にお堂が建っています。この位置からだと、平城宮跡はちょうど北東方向に当たります。
古跡伏見崗の案内板。
行基菩薩縁り「阿弥陀如来石仏」 山田法胤師命名「福徳地蔵菩薩」
伏見翁ゆかりの霊験貫き、両仏から眼・耳・足・腰の病に御利益を授かりましょう。
様々な部位に霊験あらたかなようです。