子供の成長を願ったり、道祖神として祀られることの多い地蔵菩薩。
そもそも地蔵って何なのでしょうか?
数多見られる地蔵菩薩の由来に迫ってみたいと思います。
地蔵菩薩とは、古代インドの梵語(サンスクリット語)における Ksitigarbha(クシティ・ガルバ;乞叉底檗婆)のことを意味しています。クシティは大地・住処(すみか)、ガルバは胎蔵・胎内を表し、それらを合わせて「地中の蔵」と解釈した言葉です。
万物を生み出す地中パワーは絶大!
母なる大地、聖なる大地ともよく言われますが、大地が内蔵しているパワーには計り知れないものがあります。
文明が発達する以前から、大地の持つチカラには崇敬の念が向けられていたわけです。大地に種を蒔けば、自然と芽吹いて幹、枝、葉、花、実が成ります。誰がそうと決めたわけでもなく、大地には人知を超えた何かがあるのです。その何かをサムシンググレート(Something Great)と表現してもいいのかもしれませんが、太古より周知の事実であったことは明らかです。
率川の船地蔵。
率川の流れもそのほとんどが暗渠となってしまいましたが、この付近にはまだ水が湛えられています。船に乗って浮く船地蔵は猿沢池南方の名物の一つでもあります。
大地の中の蔵(くら)。
地中に埋もれたお宝をも連想させる地蔵という言葉に、その本来の意味が隠されているのかもしれません。地蔵の不思議なチカラを「地中珍宝蔵」という言葉で解釈するお経もあったと伝えられます。
長い時間の流れの中で捉えるなら、地蔵菩薩は釈尊の付託を受けた菩薩とも言えます。
釈尊亡き後に、そのリレーの襷(たすき)を受けた菩薩なのです。未来に現れる弥勒菩薩が出世するまでの間、無仏の世界に住して六道の衆生を導く役割を担います。釈迦と弥勒の間に立つ十輪院の石仏龕を拝めば、地蔵菩薩の位置付けがよく分かるのではないでしょうか。
地蔵菩薩の歴史を辿るなら、仏教の源流であるインドに行き着きます。
母なる大地の神として現れた地蔵信仰が、時代を経て中国に伝わり、道教思想などの影響を受けて発展を遂げ、奈良時代末期に日本へ渡来します。
左手に宝珠、右手に錫杖を持つスタイルが一般的な地蔵菩薩のお姿とされます。
像容は比丘(びく)形が多いでしょうか。僧侶の格好をした地蔵菩薩に安心感を覚える人も多いものと思われます。
民間信仰では地蔵盆という形で地域に根付いていますね。
地蔵菩薩の縁日である8月24日を中心とする3日間を地蔵会に当てるお寺さんが多いようです。元来は旧暦の7月24日前後に行われていたことから、今もその慣習を踏襲している所も見られます。
弥勒が出現するまでの、実に56億7千万年もの長きに渡って、慈悲深き地蔵菩薩は私たちを見守り続けて下さるのです。これほど有り難いお方は他にいらっしゃいません。
奈良県内には、大和地蔵十福霊場という霊場巡りが組まれています。
帯解寺の帯解子安地蔵、元興寺の印相地蔵、伝香寺の春日地蔵、十輪院の石龕地蔵、福智院の地蔵大仏、霊山寺の地蔵菩薩、矢田寺の延命地蔵、聖林寺の子安延命地蔵、大野寺の身代り焼け地蔵、室生寺の地蔵菩薩と見所が満載です。
天皇家とも縁の深い帯解寺の子安地蔵は腹帯地蔵とも呼ばれ、求子安産を願う参拝客でいつも賑わいを見せています。
様々に語られるご利益を参考にしながら、ご自身に合った地蔵菩薩に詣でてみませんか?お地蔵様はずっとその場所で、変わらずにあなたを待っていてくれるはずです。