紅葉の名所として知られる永観堂。
釈迦堂前庭に不思議な盛砂がありました。
天皇の使いが出入りしていた唐門(勅使門)の裏手に、勅使が身を清めるために踏んだと言われる盛砂があります。京都の盛砂でまず思い出すのが、山城国一之宮の上賀茂神社の盛砂です。上賀茂神社の三角形の盛砂とはまた趣を異にする市松模様の盛砂でした。
永観堂の盛砂。
日本料理の世界でもよく見られる市松文様が見事に描かれています。
夜の月明かりを反射する永観堂の盛砂
瑞紫殿の中のビデオ上映でも盛砂が維持される様子を拝見することができます。
雨や風で乱れてしまった盛砂を元通りに戻す作業を繰り返す僧たち・・・
盛砂と永観堂唐門。
「砂上の楼閣」という言葉があるように、砂ははかないものの例えとしてよく使われます。盛砂の形を整えても、またすぐに崩れてしまうのは目に見えています。それが故にどこか修行の匂いを感じさせるのかもしれません。
釈迦堂前の廊下を僧侶が足早に立ち去って行きます。
勅使門盛砂は光る砂として、永観堂の七不思議の一つに数えられます。抜け雀、火除けの阿弥陀、悲田梅、三鈷の松等々と並んで永観堂の見所の一つです。光る砂とは一体どういうことなのでしょうか?
盛砂の脇に案内板があり、そこに「あかり取り」の文字が見えます。
小判型に盛られた白砂は勅使の身を清めると同時に、夜の月明かりを反射する役目も担っていたようです。夜の暗闇を照らす盛砂の情景が頭に浮かびます。なんともロマンチックですね。
釈迦堂の縁側から唐門の方を向きます。
唐様式の門が実に美しく映えます。現在の唐門(勅使門)は江戸時代後期の再建で、今日では永観堂禅林寺の住職が遷化(逝去)された時のみに使われています。
私が永観堂を参詣したのは2013年6月末で、七夕の短冊が盛砂の傍らに掛かっていました。
「復興」の願いが込められます。
唐門と相対する永観堂の釈迦堂(方丈)。
室町時代に建立された釈迦堂は本格的な書院造りとして知られます。
6間から成る釈迦堂は、それぞれに「松鳥図」や「群仙図」などの華やかな襖絵で飾られています。虎の間の「竹虎図」などは今にも飛び出してきそうな躍動感にあふれています。
釈迦堂前のこの空間でゆっくりと流れる時間を楽しむ。
大玄関やおトイレにも近く、永観堂の中でも最も人の往来が感じられる場所ではないでしょうか。盛砂を前にして、じっくりと目を凝らして鑑賞する外国人観光客の姿が印象的でした。
月の光に応えるように周りを明るくする盛砂。
清めの砂が天に呼応して、人の前を照らします。永観堂の盛砂に感じられる天と地と人のつながり。
永観堂の盛砂の案内板。
永観堂の歴史は平安時代にさかのぼります。
案内板に書かれた”あかり取り”の文字を見て、実際に月光に照らされる盛砂をこの目で見てみたいなと思った次第です。拝観時間のことを考慮すれば、やはり通常は難しいのかもしれませんね。秋の夜間ライトアップのシーズンが狙い目なのかもしれません。
永観堂を訪れたなら、釈迦堂と唐門の間に位置する盛砂に注目してみましょう。
もろさを内に秘めながらも、その整然とした姿に魅了されること請け合いです。