国宝の知恩院御影堂。
その向かって左側に、1910(明治43)再建の阿弥陀堂があります。
阿弥陀堂には知恩院の御本尊・阿弥陀如来坐像が安置されています。
知恩院阿弥陀堂。
桜の季節になると、華やかにお堂が彩られます。
知恩院の境内は広く、実に甲子園球場6個分と言われます。大きい括りで上段、中段、下段に分かれており、御影堂や阿弥陀堂など中心伽藍の集まるエリアは中段に当たります。国宝三門をはじめ、塔頭寺院のある下段から中段に上がり、さらには法然上人の御廟や勢至堂のある上段へと続きます。
早朝念仏の阿弥陀堂!知恩院一日の始まり
知恩院の一日は、阿弥陀堂で行われる念仏で始まります。
像高2.7mの丈六仏(阿弥陀如来坐像)の御前で「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀様に帰依します。
阿弥陀堂の勅額には「大谷寺(おおたにでら)」と記されていました。後奈良天皇の宸筆によるもので、知恩院の正式名称である『華頂山知恩教院大谷寺』を表しているようです。
巨大な知恩院三門。
今回は新門をくぐり、三門を目指しました。
お念佛からはじまる幸せ。
浄土宗が開かれてから、実に850年の歴史が流れています。
知恩院三門の柱。
太い柱が巨大な三門を支えていました。江戸時代初期の1621年、三門は2代将軍徳川秀忠公により建立されています。
知恩院三門は二階建ての二重門で、屋根瓦は7万枚も積まれています。三門の間口は50m、高さは24mで、そのスケールは見る者を圧倒します。
お寺の玄関口にある門を「山門」と言います。
寺は概ね山手に築かれることが多いから“山門”と書くようです。ところが、知恩院の場合は「三門」です。
「三門」の理由は、悟りに通じる3つの解脱の境地を表しているようです。
空門(くうもん)、無相門(むそうもん)、無願門(むがんもん)で三門となります。一切は空であることを観ずる空門、一切に差別相の無いことを観ずる無相門、そして願求(がんぐ)の念を捨てる無願門。解脱門とも称される、大変意味深い仏門だったのですね。
国宝の知恩院御影堂。
御影堂には法然上人像が祀られており、阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像と同じく知恩院の御本尊とされます。知恩院には2体の御本尊が祀られているんですね。その他にも御影堂の注目ポイントとして、大扉の落し金の意匠があります。河童や亀、蝉などが居ますので “宝探し” のように探り当ててみましょう(笑)
読経の声に吸い寄せられる御影堂は、間違いなく知恩院の心臓部です。平成の大修理を終え、堂内には荘厳な空気が流れていました。
知恩院の回廊。
唐破風の屋根が美しいですね。見事な曲線ですが、こういうのを「反り起り(そりむくり)」と言うのでしょう。
徳川家の葵紋。
阿弥陀堂前の燈籠に徳川家の御紋がありました。
知恩院は1603年、家康の母・於大(おだい)の方の永代菩提寺になっています。京都では二条城と並んで、徳川家の威光を示す場所だったようです。二重門の三門の上からは京都御所を望みます。遠く眼下に見える御所に何を想ったのでしょうか。かつては京都御所からも、知恩院の三門が見えたことでしょう。ここ知恩院は、歴史のうねりを感じさせてくれる場所ですね。
境内の中段からさらに足を延ばすと、法然上人の御廟と勢至堂があります。
知恩院の中でも最も古い建物とされる勢至堂は必見です。奥の院とも言える上段は比較的観光客もまばらです。静謐な空気に触れたい方にはおすすめですね。
御影堂の右手前には経蔵があります。普段は非公開ですが、経蔵の中には八角輪蔵(りんぞう)が収められています。回すことによって経典の功徳が得られる、大変有難い場所です。
知恩院の見所ですが、枚挙にいとまがありません。
除夜の鐘で知られる知恩院の鐘は圧巻ですよね。
大晦日に17人の僧侶が力を合わせて鐘を突きます。17という数字にも意味があり、お釈迦様とその弟子である十六羅漢を表しています。撞木に結び付けられた親綱を引くのは一人で、残りの16人が子綱を引きます。三門の楼上にも、釈迦牟尼仏と十六羅漢が祀られていると言います。
知恩院の七不思議も興味を引きますよね。
瓜生石(うりゅうせき)のことは以前にご紹介しましたが、個人的には三方正面真向の猫に心惹かれます。絵画の前を右へ左へ、どこへ移動しても猫の目に追いかけられているような錯覚に陥ります。仏さまは全てお見通しですよ、きっとそんな意味合いがあるのでしょう。七不思議の一つである御影堂の軒下に残されている「忘れ傘」、なかなか見つけにくいことで知られます(;^_^A
国の名勝『方丈庭園』もおすすめです。
石と植栽で表現された二十五菩薩の庭は見ていて飽きません。整然と丸く刈り取られた植栽は来迎雲を表し、阿弥陀様の極楽往生の世界観に浸れます。
知恩院は宗派に関わらず、是非一度訪れておきたい観光名所です。