桜井市吉備にある吉備池。
この池の南に「百済大寺の遺構」ではないかとされる吉備池廃寺があります。
吉備池。
一見何の変哲もない農業用溜池ですが、三輪山と天香具山の間に広がる磐余(いわれ)エリアに位置することから、この吉備池こそが磐余池ではないかとする説もあります。
東池尻・池之内遺跡と磐余池推定地
古代史の謎解きに登場する磐余池(いわれいけ)。 古代の人工池ですが、その推定地が橿原市東池尻町にあります。 みずし観音を訪れた際に、立ち寄ってみました。 東池尻・池之内遺跡(磐余池推定地)。 みずし観音の丘陵東側に、その跡地を見ることができ...
大津皇子の辞世の句!用明天皇『磐余池辺双槻宮』
吉備池の北側には吉備春日神社が鎮座しています。
用命天皇の「磐余池邊雙槻宮跡(いわれいけべのなみつきのみやあと)」ではないかとされる場所で、大津皇子を祀る磐座をはじめ”春日神”を祀っています。
吉備春日神社の拝殿。
道を挟んだ向かい側には公園があって、子供たちの元気な声が聞こえてきます。国道から南へ入った所にありますが、路地裏のような空間のためひっそりとしています。
吉備池の畔に万葉歌碑が建っていました。
大津皇子の歌ですね。
皇位継承に当たって持統天皇より死を命ぜられ、無念の想いで詠った感極まる辞世の句です。
”ももつたう 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ ”
万葉歌碑のすぐ傍にお地蔵さんがいらっしゃいました。
向こうに見えるのは、吉備春日神社の社叢です。
吉備春日神社は、聖徳太子の父である用明天皇が宮と定めた場所に当たります。磐余池辺双槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)跡ですね。
吉備池周辺は古代史における重要な舞台になっており、かの神武天皇が長髄彦(ながすねひこ)と戦った故地でもあると言われます。