京都府木津川市山城町綺田(かばた)山際16に鎮座する綺原神社。
読み方の難しい神社ですね。綺原と書いて「かんばら」と読みます。正式名称を綺原坐健伊那太比賣神社(かんばらにいます たけいなだひめ)と言います。木津川市の観光ガイドでは、同じ漢字で「きはらにいます たていなだひめ」と呼んでいます。
綺原神社の拝殿と本殿。
蟹満寺参詣のために訪れた木津川市山城町。道の両脇をぼんやりと眺めながら国道24号線を北上していると、お茶とタケノコの里として売り出している山城町の様子が視界に入ってきます。蟹満寺の拝観受付で聞いた話によると、この辺りは京都の太秦地方と同じく、早くから秦氏の活躍によって開けた場所なんだそうです。
綺原神社が鎮まる綺田の地名由来
綺田(かばた)という地名も、これまた難読地名の一つではないでしょうか。
綺田は「紙織」、「神織」のことで、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を意味しています。そして、その神織(かむはた)を祀った社が綺原神社というわけです。神織(かむはた)が長い年月の間に、綺田(かばた)に転訛していったのではないでしょうか。
鳥居をくぐって石段を上った所に本殿があります。
榊でしょうか?すっかり水分が抜けきっていますが(笑)、俗界と神界を分けることを意味する ”堺木” に由来する榊(さかき)ですね。勧請縄と共に結界が張られていました。左向こう側に見えているのが綺原神社本殿と拝殿です。
綺原神社の由来が案内されています。
綺原神社の御祭神は、健伊那太比売命(たけいなだひめのみこと)です。
木津川市観光ガイドを見てみると、「健」を「たけ」ではなく、「たて」と発音しています。手水舎の傍らにある案内板にも、「タテイナダヒメ」と記されています。
タテは健康、イナダは稲田で達者で農耕にいそしめるよう祈願されたものだと考えられます。
綺原神社鳥居と社号標。
蟹満寺を目指して天神川の橋を渡り、蟹満寺駐車場へと行く手前左側に綺原神社がありました。山背古道を隔てて蟹満寺と隣接する場所に佇みます。
綺原神社の手水処。
牛のようですね。綺原神社には菅原道真を御祭神とする天神社も祀られています。道真公といえば牛がシンボルですから、ここに牛が居るのも頷けます。右から読んで、おそらく「水天」と読むのではないでしょうか。
綺田の地名の由来にもなった紙織(かむはた)。
綺原神社の勧請縄。
「大日本史」「日本書紀」「延喜式」にも記述のある綺原坐健伊那太比賣神社。秦氏一族のお社を目の前にします。
境内の牛。
朱色の社殿がよく映えます。
ずらりと並んだ祠の右隅に遥拝所が設けられていました。
どこに向かって手を合わせるのでしょうか。
祠の一つに「倉稲魂神社」と書かれています。
こちらも農耕の神様のようですね。
道を隔てて綺原神社の鳥居の真ん前は蟹満寺境内です。
綺原神社は京都府内にありながら、清水寺や平安神宮などの人気観光スポットからは遠くかけ離れた場所に鎮座しています。奈良県との県境に程近く、華やかな印象の京都観光にはない趣の感じられるお社です。