三輪山麓の”きよめの滝”へ上がって行く道中に井戸があります。
狭井神社の薬井戸はよく知られますが、ひっそりと佇むその姿に目が留まりました。
三輪山麓の井戸。
四方に忌竹が立ち、紙垂が下がります。
結界が張られていることから、神様とも何か関係があるのでしょう。この道をさらに川沿いに上がって行けば、辰五郎大明神をはじめ、きよめの滝、山ノ神遺跡へと続きます。
同床共殿に堪え難く、宮中を出た天照大神
新型コロナウィルスの伝染拡大で自粛要請が続く日本。
遥か崇神天皇の御代にも、疫病が蔓延し国民の大半が死に絶えたと伝えます。
第10代崇神天皇ですが、大神神社境内の”天皇社”に祀られています。初夏の参道沿いにはギンリョウソウが顔を出す末社ですね。崇神天皇は即位3年9月に、都を磯城瑞籬宮へ移しています。その2年後には疫病が流行り、国民の多くを失うことになりました。
猛威を振るった疫病流行の翌年に、「同床共殿の神勅」が出されたようです。
今でこそ天照大神は伊勢神宮に祀られていますが、初代神武天皇から9代目天皇まではそれぞれの皇居で奉祀していました。疫病のあまりの勢いに、宮中で共に祀っていた天照大神と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)の神勢を畏れたのです。
菊龍大神とシャガの花。
神威を畏れ、皇女の豊鍬入姫命に命じて、アマテラスを笠縫邑に祀らせることになります。
天照大神と倭大国魂神。
ヤマトオオクニタマは、現在天理市の大和神社に祀られる神様ですね。
二柱の神と共に住むことに不安を抱いた崇神天皇。アマテラスを笠縫邑に祀らせた話は各地に伝わり、その伝承地はたくさん存在しています。檜原神社をはじめ、田原本町の笠縫神社や姫皇子命神社などもよく知られます。
檜原神社へ向かう途中に、案内板がありました。
アマテラスが永久に鎮まる所を探し求め、転々と移動を続けたストーリーは今も古代史を彩ります。
同床共殿を取り止め、笠縫邑に遷されたアマテラス。
一方の倭大国魂神は、渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に祀らせたと伝わります。ヌナキイリビメも崇神天皇の皇女に当たりますが、ヤマトオオクニタマを祀る際、髪が抜け落ち体が痩せて祀れなかったと伝わります。
狭井神社下手の池。
池の畔が整地されていますね。
少し前まで池の水が抜かれていましたが、今は戻されているようです。池の西の丘陵は「大美和の杜展望台」で、春には枝垂桜が咲きます。
大神神社境内の石垣。
地下休憩所の近くですが、これも井戸なのでしょうか。上部には蓋がしてあり、「のぼらないで下さい」の注意書きがありました。
疫病流行の後には、農民の流浪や反逆もあったと伝えます。
荒れ果てた日本の国を治めた崇神天皇は、後世に「初国しらす天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と呼ばれるようになります。実質的に初めてこの国を治めた天皇として、民の記憶に留められることになりました。
正しく神威を畏れ、適切な処置を下したということでしょうか。